橘川幸夫氏と川田十夢氏という宇宙空間への衛星発射実験その3:Amazonと書店と酸素と窒素と
さて三回目だが、橘川氏の新著の入手と重なった。深く考えたわけではなく、受け取り時間が早朝でも深夜でも自在ということで、書店ではなくコンビニ受け取りを選んだのだが、Amazonから森を受け取るというのも面白ければ、それが、まちのほっとステーションというのもBowieのStastion To Stationを思い起こさせ橘川氏っぽいなと、ニヤッとしてしまった。都合のいい考えだろうがAmazonの安定した過剰包装も、今回は例外だ。むしろ、森を内包したモノリスのような佇まいだ。もっともエコもエゴも一緒だというものだろう。
ページを開けた中の世界はもちろん、森の入り口のひとつ、装丁についてもまだ語るまい。まだ見ようとしているだけだからだ。代わりに、改めて街の書店に立ち寄る。橘川氏、そして川田氏の著作が置いてある書店の空気とはどんなものなのか?それを実際に吸ってみたくなったのだ。程なく駅前好立地の、中堅規模のチェーン書店に入っていた。店員の方に尋ねる前に、両名の著作が並んでいることを目を少し閉じて想像してみた。途端に店内の酸素の希薄さに気付く。倒れはしないものの、アクティブな入荷や追加がなされている光景が立ち現れて来なかった。それなら同質の本はと妥協したところで、同じ系統樹だと思われる樹木が所々に立っているのは分かった。私はさっそく老人のようにもたれ掛かった。
「いつまで鑑賞しているのか?どんな本を読んだか、どんな音楽を聴いたか、そんなことは君の価値とは全く無関係だ。」(橘川氏)
「何、ソシャってんの?」(川田氏)
頭の中で両氏が幸い、また檄を飛ばしてくれた。これまた都合がいいものだ。さらに都合よく「思うことは自由だ。」(橘川氏)を思い出し、勢いを得てその場を立ち去ることが出来た。書店の中に森を見ようとするのなら、書店の範囲を視覚的な範囲に限定することはない。こんな姿勢としての拡張は、川田氏の拡張の手前も手前だ。
さて、本といえば「本を読むな。書け。」(橘川氏)という、リフレインとなっている檄が飛んでくる。それなのに、読もうとしている。え、おかしいんじゃないかって?ここで「偉大な人は矛盾も大きい。」(橘川氏)を使って逃げることも出来るわけだがその前に、書くように読むことが出来る本は、なんて少ないのだろうと思う。酸素も生むのに絶対必要なのに。
それは、時代を眺める受信という行為、それに対して行動する発信という行為、つまり、時間と空間を要するものだからだろう。
だから「ひとりがちはない。」(橘川氏)ように、酸素だけでも二酸化炭素だけでも窒素だけでも単独では成り立たない。「受信し同時に発信せよ」(橘川氏)。
確かに大気中を一番多く占めているだけあって、手を伸ばせば窒素が掌で掴める。いかに掴まないかに長けることが出来なくて掴まされても吐き出せばいい。森はそんな気付きも与えてくれる。(続く)