Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。

川田館長のおかげで寅さんと再会! 「原宿シネマ × 男はつらいよ 第3弾」

意識して感嘆符の使用を抑えがちな私がこのようなタイトルにしたのは、先程会場を後にしたばかりで、まだ獲得した熱というべきものが放熱される量よりも多く体内に保たれているからということもあるだろうが、何より再会と言うくらいで、発見に溢れていたことが素晴らしく嬉しいからだ。再会と発見がどう結び付くか、それは「言葉とは自分のものではない」といった橘川氏の言葉を元にして説明出来るが、ここでは構わず筆を進めてみたい。

その前に、思えば私にとって、こうして当日という極めてリアルタイムな状況でキーボードの筆を進めるのは、相当久しぶりのことだ。このブログ全体の目的を自分自身に問う時、両氏に関する私の個人的な体験を一般化する試みとも言い換えられるから、その記述は時系列に沿ったもの、つまり先日2月
6日に訪れた橘川氏の出版パーティーという体験を元に思考を進め始めるかと思いきや、そちらはその場で頂いた宿題の重さで時系列を失ったのか、つまり宿題としての普遍性を獲得したのか、ともかく「うっかり」すると放熱しかねないという危機を感じた、本日の体験からの思考を先に展開しまだまだ続く冬を過ごそうと思った。

十分、前口上が長くなったようだ。「人生の一本に会いに行く!」をキャッチコピーに掲げる原宿シネマにて開催されている人気企画「原宿シネマ
×男はつらいよ(原寅)」で、今年初の開催となった本日、毎回変わる館長を務めていたのがタイトルの通り、今や説明不要というか不可能、いや(自分で考えることに意味があるという意味で)不毛な、AR三兄弟の川田十夢氏(以下、館長)だった。そして本編には、シリーズ30作目という『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』(1982年)が上映された。

原宿シネマでの詳細ページ「原宿シネマ × 男はつらいよ 第3弾|川田 十夢 - 『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』(第30作)」

結論から言うと、それは
①館長挨拶②本編上映③アフタートーク、そして、④この場所⑤参加者がいずれも切り離せないワンセットとなったオープンな作品として、体内に入れて持ち帰ることが出来る、つい館長の生業の一つに近しい言葉、オープンソース?といった軽口も真顔で頭に浮かんでくるような、素晴らしい作品体験であり体験作品だった。


館長挨拶・・・本編の初上映年である1982年を元に、当時がどんな時代だったか、歌(謡曲)のヒットが取り上げられ、あみん「待つわ」が、続いて本編出演者の一人、沢田研二氏がその年何をやっていたか?ということで沢田氏が同年発表した「おまえにチェックイン」が掛けられる。笑いに包まれながらも会場は館長の「歌はやっぱりすごい時代を含んでいる」や「今(SNS等で)どこどこにチェックインってやっているのに、この時既に” おまえにチェックイン” って、すごいですね。」という指摘に納得。本日の原寅という作品に入りこむこととなった。数ある1982年からのこの(航路)選択は艦長とも言えるが本編に続けよう。

本編上映・・・観た/観ないでいえば、幼少の頃からずっと映画版サザエさんのごとくお茶の間に流れていたシリーズだからかつて観たのかもしれないが、覚えていない。極めて初見だが、そんなことはお分かりの通り、本日が本編上映のみで成り立っていないことを考えれば、あまり意味をなさない。ただ、映画作品として鑑賞者の勝手な思いを挙げれば、強くてさみしくて弱くて暖かい気持ちが風のように吹いている作品で、未完成な部分があるとしたら、それは館長の生業の言葉で言うところの「余白」であり、館長、AR三兄弟との類似を感じずにはいられなかったということだ。こういうときは、列記で落ち着いてみようか。

  • 寅さんは、簡単に異なる世界が交わっている。でも「いつも交わろうとしている」という意図的なものではない。またしても橘川氏の言葉となるが、それは「出会ってしまった(んだから、そこから始めなきゃしょうがないでしょう)」と同質のものだと思った。③で館長が言っていた「寅さんは何も義務でやっていない」に通じていると思った。つまり、これはおそらく橘川氏、及び館長両氏を通じて獲得出来る(=一般化出来る)知見として最重要な考えの一つ「(今後の人類の変化の中では、情報化でいきなりお互いが繋がるのではなく)孤独のまま、留まる(という状態が必要)」を、寅さんが為し得ているからではないか。これも③で館長が言っていたことだが「寅さんは、なんでいつもいつもあんなに明るいか?と自問したら、寅さんは誰よりも孤独だから、孤独な人に明るかったんだ(と分かった)。」がそのままこの言葉に重なった。
  • 異なる世界は、寅さんが直接訪れていない場所にも現出している。三郎(沢田研二氏)と結ばれることになる蛍子(田中裕子氏)の家庭や勤務先のデパートには、過去をまだ内包している蛍子に対峙するように現代が渦巻いている。異なる世界を更に細分化するなら、その形容としては、人工的/非人工的、よりも、共有可/共有不可の違いが適切ではないか。つまり、とうにこの1982年に、SNSで目立ってきたかのように語られがちな問題が描かれているのではないか。
  • 映画の構造として観察した時、私なぞの指摘は今更不要だが、形式の発明が偉大。繰り返されるその形式は、ブルースの3コードのような汎用性から、ジャズのインプロビゼーションのような自由と責任までを関わるもの(役者、製作者、観客)に与えているのではないか。
  • こういう偶然もあるのかと思ったが、この1982年は、舞台の一つとなった大分を小学校の修学旅行という形式で私がたった一度だけ訪れた年だった。その旅行については殆ど覚えていないにも関わらず、全て眺めたことがあるような既視感があった。そういう意味で、自分が生まれてからの時間を扱った映画は、どこかしらドキュメンタリー性があるはずだと思ってわくわくした。ドキュメンタリーとは、現代性を含んだものだと思う。現実の中で問題のようなふりをしたものに出会ったなと思った時には、ドキュメンタリーで問題に再会すればいい。自分が生まれてからの時間を扱った映画は、観よう。


アフタートーク・・・既に前述した鋭く重い言葉を含みながら、滑舌の良い館長のトークが続いた。それもそのはず、そこには終始本当に寅さんが好きで好きで好きでしょうがなくて、気が付けば超高密度に寅さんに精通していた館長の姿があった。(松竹の撮影地として、また、寅さん関連の充実したアーカイブを誇る市立図書館といった)調布という環境下にいたにせよ、1992年、館長がまだ高校生の頃、たまたま出会った寅さんの作品にのめり込み、「高校2年で(当時の)全45作を繰り返し観終えていたので、つまり、もう全部入っているので学校に行く意味がなかった」というのは、なんという最短距離、両氏の言葉でいう「本質」なことかと、気持ちが揺さぶられ、その一貫性に感動してしまう。これが「必然」なんだろう。館長の生業の言葉でいう「あらかじめ書かれた」ものなんだろう。だから、寅さん(渥美清氏)の9684日の事も、毎年新調していた寅さんの雪駄の鼻緒が切れることで伝えられたのかもしれない。

本編上映でも登場した、そして、他の寅さんの作品にも頻出しているに違いない「さみしさや悲しさの中でふっと生じるおかしみ、笑い」のように、若き日の館長は式に並びながらも、自分を寅さんだと思って、背中に手を合わせる人に「おかしみ」を感じ、その場を後にしたそうだ。肉体がその場に留まることが、留まることではないんだろう。そもそも、寅さんが「どこにいるのかさっぱり分からない、けど時々戻ってくる」そんな動き続ける留まり方をしていることに気付く。だから、当然「しんみりするつもりでここに来たわけじゃない」という館長の言葉で、本邦初公開となる作品も交え「寅さん越しに” 未来の映画” 」が披露されていった!私が「ワンセット」と言った意味が伝わるはずだ。

詳しい中身についての解説は野暮というものだが、その” 未来の映画” への思いはぜひ紹介したい。それは次のようなものだ。「映画を元にしたゲームはつまらないものが多いが、その映画を知っている人はより好きになる、知らなかった人も(触れることで)楽しくなる、何かがあるんじゃないか?と考えてきた。」義務で動いていない、出会ったから動く、そして、結果的に周りを明るくする寅さんに実に似ている。アフタートークといいながら、何度もはじまりに連れて行ってもらえた時間だった。そんなはじまりに繋がる言葉を他にも挙げると「(映画との接点は色々あるが)映画にはお話を考える過程がある。この断片をもっとスマートに出来るんじゃないか。シナリオ・ハンティングはとてもわくわくする(行為だ)。このハンティングから映画が出来ると思う。」キーボードの筆を進めていてもわくわくしてくる言葉だ。同時に、このシナリオ・ハンティングとは、まさに1982年のこの作品の中で、寅さんがやっていたことでもあるのだろうと思う。

「偶然だけど偶然じゃない。」これは本編上映の中に登場する、ひときわ明るい、太陽のようなシーンで寅さんが口にする言葉だ。ひとまずこれで全体を表すことが出来た気もするので、この辺で締めくくりたい。

追記

この場所・・・原宿シネマという場所も、素晴らしかった。原宿だろうが裏原宿だろうが、能動を伴った衝動を受け入れてくれる場所であり、自由と責任を当たり前に空気として湛えている場所だと思った。厚すぎるコートや荷物にも気付かされた。

参加者・・・司会の方を含め映画関係者の方も当然多くいらっしゃったようだが、観客席の反応から見るに、映画や寅さんやAR三兄弟のファンに留まらない方が多く感じられたのが良かった。誰もスマホで撮影したり、いじったりしていなかった。映画館でのスマホが絶対にダメではないのは、そもそもAR三兄弟がもう5年程前に飄々と提示してくれた作品体験だったが、今回は触らないで留まるのが正解だった。

⑥館外…上記には挙げていないが、やはり書かずにはいられない。館外へ出ると、まだまだ雪が残る通りを帰宅すべく駅へと向かった。途中、スマホのバッテリーチャージと今回の作品についてのメモを残すためにSoftBankショップとマクドナルドに寄った。両店共、他の区や地域のそれらと比べ、最新型の印象を投げ掛ける、サービス、スペース共に大規模なタイプだった。

その中で、誰もが、スマホを媒介、代理人のようにして、目を使ったり口を使ったり、耳を使ったりしていた。そんなのは、この後で乗ったJRの車両内でも同じだったが、大きなスペースの中で普段眺めるより沢山の人がスマホを触ってたからなのか、もっと色んな人を見たかったからなのか、ともかくその一様さを意識した。そして、前述の「留まる」を思い出しながら、やっぱり今はまだまだ孤独になりきれていない孤独の戯れなのかと思った(復唱した)。都会のあるいは現代の、その他私達が言う多くの何某の孤独は、まだその先の孤独になれる。少し前ならこれを救いとか進化とかに捉えそうにもなっただろうが、何せ館外へ出たばかり、そこには変化という余白があるのだと思った。

館外へ出たばかり、といえば、橘川氏の青年時代にはさぞ街に溢れていたであろう「(なりきり)高倉健」の如く、カウンター越しの笑顔に本編の寅さんを気取って「おう、多国籍企業、またしても偶然、美味しそうなハンバーガーを出すとはやるじゃねぇか!(笑)」と声を掛ければ良かったかな、とわずかに浮かんだと思ったら直ちにやらなくて良かったと安堵とさみしさを覚えている自分に気が付いて、留まるということがいかに恥をかかないようにすることと混同されがちか、留まることの困難さが隠れがちなことかと思った。

もっとも再び③に戻れば、45作品を繰り返し観終えた館長は口調や言動まで寅さんのようになっていたらしい。ではと考えるも、今回のレジかどうかは別にして、館長が寅さんとして態度を示す時には、それは表面的には寅さんと異なる口調や言動をもって現れるはずだと思った。だって館長は留まっている人だからだ。

そういえば、一方のスマホの中の光景だが、留まっている人も、留まっていない人も、今やSNSの代表Facebookでは同じ「オンライン」となり、ましてやTwitterではそのステータスの表示すらなく、誰がどちらか見た目には区別がつかない。チャットをオフにしていようが同じだ。これは要注意だ。本編の言葉を使うなら「心で」誰が留まっている人かを感じるしかないということか。自分も他人として。

 

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