Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。

お邪魔レポートの体裁を借りた思考の為のノート「未来フェス in 高島平団地2014」

0)口上

今後の流れとして、品詞化済みのもののみならず、言葉や感情の中にはピクトグラムや図形といった何らかの描画に変化して、図形先行での文字認識の発生や文字・図形の併用に置き換えられていくものが増加するとは思うが、いずれにせよ言葉として認識し続けることに変わりはないだろう。また、本日東京に十数年住まいながら初めて訪れた高島平団地は、あくまで私が住んでいたかもしれない可能性としての私の住居でもあるから、いくら標題の舞台とはいえ、なるべく撮影を行いたくはない。
この2点から、いつの間にか一般化した感のある「まず画像があって、次にそれを説明するキャプションのようなテキストが続いて・・・」という構成とはならなかったこと、最低限の画像に留まったことを先ず記しておく。画像好きの方は、ごめんなさい。

※もっともらしいことを挙げ連ねたが、そもそもそれ以前に、これは標題ではっきり示した通り、自分の「思考の為」に記し始めたものだ。ただ、そのノートは広く一般化出来るのだから面白い。ではどうぞ、一緒に進みましょう。

1)到着

改めて、一番最初に書くべきことを挙げると、私は本日2月16日(日)、昨年初めて京都で開催となった「未来フェス」、その東京での初開催にお邪魔すべく、中央線から高島平へと向かった。未来フェスとは、このブログでの最重要命題の一人、橘川氏が昨夏発案し秋に実行した、外資系企業も真っ青のスピードと、日本企業もうっとりの日本的人情に溢れた、それでいて最先端を露骨に含んだ、おそろしく贅沢な日常的参加イベントのことだ。もっとも、これは私が今形容してみた言葉で、詳しくは、次の公式サイトをぜひご確認頂きたい。ともかく、知らない方には今は「すごいんだ!」ということが伝わっていて欲しい。

◆未来フェス公式サイト
未来フェス事務局|まだ現実化していない未来のイベントを、みんなの小さな力で現実化するシクミ

かくして私も期待と緊張の中、淡々と電車に揺られ高島平駅に初めて降り立った。いきなり面白かったのは降りた瞬間、懐かしい感じがして、即座に「あ、これは大阪の千里中央あたりの雰囲気に似ているからだ。」とひとり合点していたことだ。昭和40年代にも50年代、60年代にも平成のいずれの年にも錯覚可能なような、無国籍ならぬ無時代、いや全時代感といった感覚を覚えた。どこか、SFのようでもある。

そうだ、
SFは別にロボットも最先端の機器も建物も必要じゃないってずっと考えていたことを思い出した。そして、SFである以上、会場に入る前のこの光景(状況)の中に既に未来が漂っているのだと思った。そうか、未来は懐かしいものでもあるんだな。

結果的に、会場である高島平団地内で予想以上に迷って会場に駆け込むことになるのだが、続いて朝食を兼ねファーストフードのお店に寄ると、通りに目立つ老人よりもさらに多くの老人が、それぞれ非常にアクティブに会話を続けているのが目に入ってきた。まるで子供のような無邪気さも覚える光景に、高齢化という言葉を思い浮かべるのはとても安直だと、なんだか楽しい気分でチキンをコーヒーで流し込んだ。 そして、会場入り。画像ではうまく伝わらない、においを伴った広大さである。さらに折しも、現在進行形で今も深刻な被害をもたらしている降雪の影響で路面が悪いことも重なり、私が目的の部屋(教室)にたどり着いたのは前述の通り、既に「ライブ」が始まった後のことだった。

2)橘川の講演「森を見る力」 という名のライブ

ライブと呼んだが、いわゆる楽器と歌による演奏が登場するものではない。あくまで橘川氏がノンストップで一人肉声で話し語りしゃべり続けるものだ。知っている人なら全員納得の形容だろう。別に怒鳴ったり激昂したりするものではないが、本当に、100分近くの時間を一人で板書も交えながら、全員の顔を見ながら、続けられるのだ。以前、耳にしたことがあるが、大まかなテーマは決めているが、当日の教室の反応によって、語られる内容は変化するらしい。これって今全世界を回っているストーンズと同じかそれ以上じゃないか。

今回も橘川氏は、新たな形容を試みるなら、高度経済成長の黎明期のような力強いすがすがしさで、私たちに話し続けてくれた。その中には、氏が今も主催されている私塾「リアルテキスト塾」
でかつて教わった内容も含まれていたが、私が忘れ去ったわけではないのにますます新鮮な言葉として飛び込んできた!その内容をそのまま列記することにも相当な意味が生じるが、ここでは概要に留める。

3)今回のライブ

1.生命進化

  • 何でそんなことが起きたかは分からないが、かつて、はじめはプランクトンのような微生物でしかなかったものの中から「海から陸に上がる」ものが現れた。こういう「おっちょこちょい」は好きだが、人とはこうして「はみ出していくもの」なのだ。ここで重要なのは、陸に上がったものは、かつて自らを取り巻いていた「海」をみずからの体内に、血液や体液というかたちで取り込んだということだ。外側の海を内側に持ってくることによって生きることが出来たわけだ。そして、陸に上がったものはやがて人になり、「共同体」という「法律」と「金」が不可欠なものを作った。つまり、人はもはや動物としては生きられるかもしれないが、人間としては「社会」の中でしか生きられないものとなった。 そして、今起きていることはその次の「情報」という段階だ。共同体は地域に縛られているが、情報はそれと異なる。それは共同体から結果的にはみ出してしまう状態だが、自動的に誰もが情報型の人類へと移行出来るわけではない。新しい環境に行く時には、体内に(古い環境を)取り込む必要がある。だから、この(共同体型の人類から情報型の人類への移行という)過渡期には、かつて海を体内に取り込んだことが参考になる。つまり、この過程では、法律が無くても、例えば「人を殺してはいけない」といった倫理を個人が自らの中に持たなければならないということを意味する。
  • 問題は「金」だ。金とは空気だ。本来スムーズに回っていれば問題ないものだ。人はご飯を一日3回食べるのであって、いくらお金があってもそれを6回には出来ない(それなのに、どこかにお金が偏ることで問題が生じる)。20世紀は環境の時代であったがこれからは環境よりもお金が問題となってくるだろう。つまり、お金とは信頼であり、これまでの共同体型の中では国家という共同体に対する信頼があったが、情報型の中ではそれが今後無くなる。そして、違う(対象に対して)信頼を持ったお金が必要となる。どういう根拠で生きていくか?だ。


2.共同体

  • 中一で入ったクラブはその人の本質に根差している。「何をやっていいか?」が分からない頃に選んでいるからだ。僕(橘川氏)は写真だった。その後、高校で登山を選んだ。

  • 登山の流れを見てみよう。

    A.信仰(対象としての山)からアルピニズムの登場
    1. 産業革命により資本家が誕生。余暇の発生「趣味で山に登りたい!」
    2. (最初の)登頂を目指すピークハンターの動き「誰も登ったことの無い山に登ろう!」「名前が残る。」
    3. (未征服の対象が無くなることでの)シラケ「世界の山は全て登られてしまった。」
    B.ウルトラアルピニズムの登場
    1. より難しい条件に挑戦「冬期○○登山に成功!」
    2. (この多条件においても対象が無くなることでの)シラケ
    C.(橘川氏の造語として)ポップ・アルピニズムの登場
    1. (かつての)山は神聖なものであるという考えから、情報的に全て分かっている状態を利用することへの移行「楽しんでしまえ!」cf.沢登り、シャワー・クライミング「水着で水の中(最短距離)を登る」
    2. 一部分だけを取り出してくる、(全体ではなく)ユニットを楽しむ「世界的には評価されないけど、楽しさは変わらない。」「どう楽しんだかが勝ち!」

  • この流れは「資本主義」の流れと全く一緒。頂上を最短距離で目指すものは、プロセスを追求する流れとなり、楽しさを追求する流れとなった。 cf.バンダイ、サンリオの時計(80年代)「プロセスの追求の時計メーカーには、楽しむという時計は作れない。」
  • さてここからが大変。ハッピーかと思いきやハッピーではなかった。システムという(ビッグデータと呼ばれるものも含め)乗り越えるべき課題が登場してきた。
  • 最後の子供間の口コミ商品としてビックリマンチョコ1984年頃)がある。これ以降、POSデータ(というシステム)が登場した。口コミ商品というのは息が長い。一方、システムは新しいヒット商品を生むことが出来るが、廃れるのも早い。常に新しいものを出し続けねばならなくなった。
  • システムによって(口コミのように)間に入る人が要らなくなる。それでクリエイティブなものが生まれるのか?
  • 中抜けになればなる程、個人ではなく組織が判断するようになっている。これが今の問題。

3.インターネット

  • 我々(橘川氏のような団塊)の世代にとってはインターネットのようなものを作ることが目的だった。
  • 生きているだけで、明治の頃のような中間人を必要とせず情報が入ってくる時代、これを実現したのがインターネットだ。
  • インターネットで一番重要な特徴は「発信者負担」であること。これが、今後世界を変える要素になってくる。 cf.ボランティアの隆盛(90年代)「ボランティアというのは無償ではなく、有償での労働行為。」
  • お金を稼ぐ労働と、喜びとしての労働がある。このバランスを取ってきたのが、本来の我々の姿。これを忘れていなかったのだろう。(お金を払って納得出来る労働を手に入れるという)この流れは、全くインターネットの「表現する喜び」を求める流れと重なっている。
  • ここで(インターネット上で発信する者として)村上龍と女子高生がいるとして、表現では圧倒的に村上龍が長けているだろうが、女子高生はお金を払って自分が言いたいことを言っている。質から言ったら、プロよりもこの女子高生の方が高いと思う。
  • インターネットは近代ビジネスを超える。 cf.橘川幸夫氏の著作「インターネットは儲からない」(2001年)
  • インターネット以前は、世界はばらばらという認識を前提としていた。ばらばらなもの同士を繋げること(間に入ること)がビジネスだった。つまり、近代ビジネスには「ギャンブル」と「ピンハネ(マージン。ギャンブルが持続性を伴ってきたもの)」しかない。インターネットは、直接ABを繋げる。インターネットはやればやる程(進めば進む程)近代ビジネスをスポイルする。現実には、急には変化しないだろうが、質的には変わらざるを得ない。 cf.B社の特定コミュニティ向け旅行代理店
  • 代理といっても、クライアント企業、組織側の代理でしかない(ものが多い)。中抜きの代わりに、消費者の側の代理となる「中入れ」を提案したことがある。考え方として、個人の側の代理店はまだまだ(可能性が)あるだろう。どちらにつくか?だ。


結局、カッコ書きによる私の言葉での補足を加え、概要に留まらずほぼ全て列記してしまった。列記せざるを得なかったからだ。だがここから先は、現在進行形で具体的に進行している橘川氏のプロジェクト、活動の説明を含むライブとなった為、記さない。残念ではあるが、それはいずれもどんな内容に今後変化しようが、冒頭に記したように大きなテーマは変わらないという点で、残念どころか、具体的に未来に進む日常の素晴らしい動きばかりだ。それを象徴するのが、この「未来フェス」なのだ。ここで、未来フェスについて、また別の言葉でその思いが語られたので紹介したい。

「今の時点でいいことはたくさんあるが、このまま行っても良くならない。今ある良質なものを集めて一緒にやろうよ!というのが未来フェスなんだ。」

 

4)ライブ以外の会場の様子

 矛盾した言い方かもしれないが、元気の素を注入、もしくは自己生成出来た私は労働後の肉体労働者のようにすっかりフラフラ、団地内にあるレストランでカレーを頂いて辺りの空気に溶け込もうとしてしていた。ここでも、元気な老人たちの姿があり、それに加えて、寅さんのさくらを思わせる女性が、注文や会計時等ことあるごとに、老人たちをはじめお客さん一人一人に、私的な会話を投げかけていた(それは、橘川氏同様に最重要命題である小沢健二氏の言葉で言い表すならばまさに、お互いに「返事じゃない言葉を話す」光景そのものだった)。注文したカレーが登場するのは思ったよりも時間がかかったが、そんなことはどうでもよく、ついでにコーヒーを追加注文しているくらい、またしてもとても素敵な空間にいた。

ということで冒頭記した通り、実は数々の「最先端」な動きが露骨に、子供部屋のように団地の空室で展開されているというのに、駆け足で触れるに留まった。例えば「未来フェス」誕生の触媒であり、初回にも関わらず有意義な課題の獲得と共に成功に導いた立役者、「ピポトレ!」の宮崎要輔氏をはじめ、船酔いに近い感覚を覚える程超リアルなVR体験「オキュラスリフト」、何よりプロなのに、これまで一貫して読者との関係性を大切に紡いでこられている作家、田口ランディ氏の「文章教室」、もはや発明といえる「石花」で海外でも話題となっている石花ちとく氏といった面々が贅沢にも一つの「日常」となっていた。少しでも関心を覚えた方は、それぞれインターネットでの情報に触れることをお勧めしたい。かく言う私自身、今回初めて触れたり、興味が高まったものやことや人も多く、これから始める立場だ。

5)思考の為のノートとはいえ、これまで記したことで得られたまとめ

以下、列記。

・団地とは可能性として分かりやすい形を留めている場所だ。見方次第で子供部屋のように思うことも出来る。
・団地の建物はこれ以上巨大にならないが、今ある中に巨大なものを取り込むことが出来る(生み、育て、追想することが出来る)。
・子供とは未来のことを直接意識していてもいなくても、未来へ進んでいる存在だ。老人は未来を意識するようになった子供だ。
・橘川氏は生き続ける能力においても天才だ。さいとうたかを「サバイバル」のような悲惨な日常(非日常)があるとして、それすら一日常として更に上から眺めている視点の持ち主だ。

(本稿も未完、というか続く)

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