Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。

旅に出る理由があり、書く理由がある。

忘れないということ、あるいは、忘れるということがいかに難しいか。つまり、納得を覚えられるような続きをそのまま続けることがいかに稀なことか。

例えば、数年に数回程度の頻度で新幹線の同一区間という閉ざされた空間に身を置いた場合、前回の乗車から数か月や1年以上が経過していても昨日のような感覚に陥ることがある。それは、前回も同じようなことを考えたなと思い出しても、その思考の正確な軌跡はもちろん、その時自分がどの席でどんな服を着て、車内外はどんな光景だったのか、断片的には覚えていても総合的には間違いなく忘れていて、ぼんやりとしているが故の感覚なのかもしれない。ただ、体なのか脳なのかは分からないけれど、この感覚なら忘れていないという二重構造。

それならと、このような特定の空間のみで、期間を空けて続きを考える行為(執筆)があっても面白いと思った。もっとも、この行為の持続力には本人にとっての面白さが不可欠だろうから、冒頭に挙げた納得ということが前提となるのならば、思考時間(文量)以上に、考えにケリをつけたという意味での思考の節が問われるだろう。

では納得を覚えられないけれど、続きを続けたい時にはどうすればいいのか?それは、間違いのない続きに立ち返ることではないかと思う。車内外といった物理的な間仕切りとは無関係に、どこまで行っても自分と他者とは切り離された関係のままだが、それでも切り離されていないものとして、過去からの歩み、橘川幸夫氏の言葉を引用するならば「人類史」があり、その上を意識的に走行することは新幹線よりも我々が得意とすることのはずだ。人類史から言葉を放とうとすること。もちろん、これは何も古代を思うという単純なことに終始するものではない。

思えば、思考(文章)の節は季節と似ている。「旅に出る理由」があり、書く理由がある。今日久しぶりなんだろうけど、これこそまるで昨日のような、いつだって、切り離された関係の為に人類史からの言葉を放ってくれる小沢健二氏の姿を観て、考えたこと。