2015年夏「舞台三部作」
何々三部作というと、何かまとまりが良い感じがするのは、何々三兄弟というのと似ている。この8月、9月という割と短い夏の期間に、いずれも夏のようにこれからも迎え続けていたい、真新しい舞台を三つ鑑賞することが出来た。
いずれも、説明をして意味を探ろうとするのは野暮な、ただし同質であることは間違いないという点で、私にとっては、それぞれが独立していて直接的な三部作ではなかろうが、まさしく舞台三部作といえるものだった。
【2015年夏「舞台三部作」とごく端的な心情吐露と自己顕示欲】
- PATTERN-2
2015年8月2日(←世間ではいちごパンツの日でもあったんですね。さっき知りました)
「将来の王道という点ではもはやクラシックともいえる新しい舞台形式の創始者だと思った。ただし、初回を体験しての本作がそうであるように、予想が追いつかない次回が今から待ち遠しい」
▲おかげで今でもハトのフンに気を付けて過ごすことが出来ています。 - 明日のアー
2015年9月18日(←1971年のこの日、あのカップヌードルが登場したんですね!さっき知って良かったです)
「関係者の多くは某WEBメディアでも活躍するライターだということは何となく知っていたが、誰が誰で、誰がどんな特徴を持っているか殆ど知らないで鑑賞。上品でも下町っぽくて、下品でも山の手っぽくて良かった」
▲新しい様式のみならず判型も同形であると、嬉しくなりますよね。 - ホロッコレクション#1「きみといつまでも」
2015年9月21日つまり今日(←うおー、ボニーピンクが結婚を発表しているじゃありませんか!?さっき知って、ドイツ語の格変化よりは複雑な気持ちです)
「人情の範囲の広さを忘れていたことに気付かされた。秋の空が高いなどと心奪われている場合ではなかった」
▲直前に知ったので、このチラシは手に入れられませんでした。
▲こういうことがないと円山町とは縁がなさそうです。▲暗がりで明るい気持ちで記載した為、多少字が躍っています。
▲映像もすごく良かったです。
さて、では何が同質であるというのか?それははっきりとしておいてもいいだろう。
まず分かったのは、まだ名前を付けられていない笑いを体現していたということだ。タイトルの一つを借りるなら、そこには新しいpattern(様式)があったと思う。二者間や異なる集団間において、会話や態度といったコール&レスポンスにズレが生じるのがコントの面白さだとしても、そのズレが出尽くしたわけではなく、かといって、コントの数だけ新しい種類のズレがあるわけではないのだと思った。
なお、この二者には、何も舞台や観客の中にいる人ばかりではなく、多くの人が殆どメディアの中でしか触れていない存在、「矢沢(「Pattern」にて、その初回に続き登場)」や、人ではないが「磯丸水産(明日のアーにて登場)」や、「ローマ法王(きみといつまでもにて登場)」等も含まれていて、それらは皆ある程度観客の中に既に認知された物語を持っているから、使い方によっては、初めて観る舞台の物語とそれらの既存の物語が接することでのズレが計測出来ない程のものとなる。制作や製作側にいる作家の多くにとってはきっと、こうしたメディアの中の存在を持ち込むことは勇気はもとより、大変技術を要することではないか。いずれにせよ、三作いずれも飄々とした感じでそれらを扱っていたことは目撃出来た。
そして、笑いとは喜怒哀楽の喜や楽、さらには怒や哀よりも一段上のレイヤーにある感情で、それは相当強い生命力を持っているということを示していたという点でも同質だった。加法混色が白に、減法混色が黒に行き着くなら、三作によって生まれた感情は笑に行き着いた。水及び笑の星にいることが分かって良かった。
追記:
▼いわば、大学は出たけれど & 30歳を過ぎたら本は読むな、書けと言われたけれど・・・この三部作がきっかけで入手、読了した2冊。