Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

 イヤホンを忘れて外出しているのに気付いた時、あった方が良いという気持ちは十分存在する一方で、後悔とは対照的な良かったという気持ちになっていることも多い。この奇妙な自覚はやがて、近年自分の頭の中を占めてきた依存、受け身、受動ということを喚起する。音楽は無論大好きなのだが、垂れ流しと分かっていながらも惰性で聴き続けるような態度をイヤホンとスマホと私の組み合わせに見てしまうのだ。とりわけ、外出時の私に。
 しかしながら、それを受け身というのであれば、たまたま注意不足で忘れて出掛けてしまったという状態にそんな感情が芽生えるという自分の中の動きに関しても、受け身を覚える。そして、受け身が嫌なのなら、最初は受け身でも、それをきっかけに能動に変わればいいではないかという自分が登場もする。こうした構造は、自分の周囲の至る所に見出すことができる。
 例えば、狭い紙片を使った記述、あるいは、紙片どころかPCやスマホといったあらゆる記録媒体自体を使わない記述がそれだ。書く環境が制約を受けるから、書く直前の自分の頭の中が活性化される結果、言葉が編集され研ぎ澄まされる、そんな動きを、そうなって欲しいという希望も込め今まで見出して信じ込んできたように思う。受動の部分を残したまま、能動であろうとしている。他力本願の一言でまとめることもできる類なだけかもしれない。減ったようにはまだ見えないと言い聞かせてつまみ食いをしたのち、菓子の蓋を閉め元の場所に戻す、その一連の動作を繰り返す子供の姿も浮かぶ。その子供の顔は自分であると思うとしたら、今いる実家の当時の光景が浮かぶとしたら、少しは能動といえるか?
 子供といえば、幼い頃慣れ親しんだ地元の夜道はもっと明るかったはずだった。現実には、今も昔も変わっていないのは、電柱や周囲の家屋の数にそれ程変化がないことからも分かる。それでも今よりは明るかったと思う。程なく、これは今から昔を振り返っての印象であって、当時明るいなと思っていたわけではないことに気付く。むしろ、当然といえば当然だが、夜道は暗いと思っていた気もする。今現在に限っては隣の芝生と自分の庭の芝生の青さを比較できることを挙げるまでもなく、過去と現在の比較の難しさにまたしても直面する。これもまた暗夜行路というものだ。
 ただ、昔の感覚が瞬時に蘇ったとしか思えない感覚に襲われることはある。それは多くの場合、そのカギを握る主体が見えないままで起こる。私にとって、室内にいて外から聞こえてくる独特の、地面と草履が擦れる音がその最たるものの一つだ。
 その草履の主は祖母で、同じように、室内で鍬の音を耳にする際にも、瞬時に祖母が外にいると錯覚させられる。先日は軌道工事の音の中に、鍬ではないだろうが地面を耕すような音を耳にして、丑三つ時だというのに祖母の存在をその線路の周囲に感じた。そして、やがていつものように眠っていた。目覚めたときには、今と同じように、その感覚は無くなっていたように思う。もっとも、再びこの時点でもう不確かさが戻っているのだが。今と同じだといえる範囲や距離の短いことといったら、真冬の日照時間よりも短いようだ。
 圧倒的に短い今と対照的に圧倒的に多くなるのが過去なのか、それでも過去の行為の蓄積なら、この身にも随所に残っている。姿勢を正さず偏った姿勢をしていることがあるせいか、以前よりも体に鈍い痛みを感じることが増えた気がする。これも昔と今との不確かな比較だという話に終始しないで続けることにする。もっと大事なことを見つけた気がしたのだ。
 目が慣れるまで本当に真っ暗だと感じた生まれ育った町の夜道を今夜歩いていた時、姿勢を正そうと思った際、瞬間的に分かったことがあった。瞬間的に分かった気がした。祖母の背中が曲がっていたのは、数十年に渡る家事や畑仕事もあるだろうが、それだけではないのではないか、夜道で転ばないように気を付けていてくれたからではないか、だって姿勢を正している方が安全に歩くための視界は得られず何かあったらバランスを崩しやすく危ないではないか、だから意識的に前傾で歩いていてくれたのだと分かったのだ。ここで受け身を取ると言えば茶化すようだが、祖母の気持ちは受け身なんかじゃなかったと思う。ずっと能動で進んでくれたのだ。
 祖母が六十九歳の時、私が生まれ母が亡くなった。実際にはしばらく生きていたのだが、体が弱く実家に帰っていた。間違いないのは、生まれて間もない時から、17歳になる直前まで祖母が当たり前のように私を育ててくれたことだ。今も育ててもらっているのかもしれない。でも、そういう類推で終わる考えこそ受け身でしかない。誕生日の前日に、終わりを与えない文章を残したくなったのは間違いない。
 目に見える動詞の有無や文章であるかどうかを問わず、それが何かに対してメッセージとして表意されるものであるのなら、単語においても状態がある以上、「である」という状態のbe動詞を伴っていない言葉(思惟)は見当たらない。動詞に対しては、多分例外なく「~し続ける」という状態(補助動詞というのか)を付与することができるが、以前は、この「~し続ける」にどことなく好意を覚えていた。簡単に結論に向かわない、予断を持たない、そんな態度を見出していたからではないかと思うが、今はそんなに特段惹かれなくなっている。好意を覚え続けていたはずだが、いつの間にかこうなっている。
 でも、この変化と関係あるのかないのか、ここで再び祖母が浮かぶ。「~し続ける」を飲み込むような強さと、抱き締め覆って包んでくれるような優しさといった圧倒的な姿勢で祖母が現れる。祖母は「育てる」の人だった。この「育てる」が「~し続ける」を包み込んだのが分かる。かくして、私は育てられ続けている。また受け身が現れる。私が育てているものは何か。日付が変わって誕生日となった。