Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

呆然と気分

 あっという間に経過した時間に呆然とするのは、人生とまで行かなくても、今の場所に住み始めてからといったひとまとめに捉えた期間を振り返る時に起こるものばかりではなく、あちこちにある。私の場合には顕著なのか、中でも、しばらく使っていなかった、だとか、できるのに全然してこなかった、という対象にそれを感じることがままある。これ自体、そのものを通じて、それを手に入れた時からの期間だったり、もしかしたら人生を振り返っているのかもしれない。間違いなく悪いことではないのだが、どこか切ないというかやりきれない気持ちを覚えている。そんなことを最近考えていて、今朝も思い当たることになった。実際の出来事を直接の契機にして観察的に書き始めるのは避けたいのだが、頭の中に頻出して今朝も今もあるものだからと書き始める。
 今朝の場合は、私にはなじみの薄いハロウィンのイラストが描かれた箱型のティッシュがそれだった。昨秋、華やかなオレンジ色のパッケージに楽しげな気持ちも覚えてか、何気なく購入したものだった。開封はして時々は使っていたが、多用しがちなアルコールティッシュとは対照的にあまり使わなかったのだろう、減っておらず、新年7日となってパッケージだけを見れば季節外れの感じも濃くなっている。とはいえ、極言すれば資源を大切にしていると言えなくもない点で、やっぱり悪いことではない。
 続いて、できるのに全然してこなかったものだが、今はするようになった、という言葉を補う類も加えて良いことにすれば、マフラーや手袋やカイロがある。たまたまだが、いずれも防寒用途という共通項があるのが、ちょっと何か誤った法則的な結論を自分で導きそうな予感がして嫌な感じではある。この3点共、身に付けるのが嫌だったわけではない。また、それらを完全に不要とする環境で過ごしていたわけでもない。なければないで過ごすことはできる気分と環境が、疎遠なままにしていたのだと思う。ずぼらというか、ここでも極言すれば事前に備えるという姿勢が足りないのだと思う。そう言っても大袈裟には思えない。そういえば数年前、メールでの案内にそのまま受け身的にごく簡単なプランに加入した生命保険だってそうだ。減らないティッシュとは何だか対照的に、この身を惜しげもなくすり減らす可能性に晒している気がして、寒くなるというよりも可笑しくなった。

 少し笑うもそれで終わらず、続いて自然と全く親孝行の一つもしないままで別れてしまった父親のことが浮かんできた。父親のとある笑顔について、その笑顔を作ったものが、私がさっき感じた可笑しさと似たものなのでは?と想像したのだと思う。10年ほど前、父親の運転する車で真横の父親の顔を何気なく見たら、どこか達観したような穏やかな微笑があり、驚くことがあった。もっとその前に見たことがあっても良さそうなものだが、あまり見たことがない気がした。今思えばだが、そういう微笑をもっと見ることができたのに見ようとしなかったとも思う。これははっきり、惜しげもなく時間をすり減らしているというものだ。
 挙げようとした似たような可笑しさ、その類の笑顔はまた別のものだ。しばらく走りながら、今は殆ど覚えていない話をしていた。そういう話の中で父に、友人が癌になって手術したことを告げた。そうか、大丈夫かと驚きながらも、父は身体全体に力が漲っているような表情になった。これも今思ったことだが、信用できる表情だった。間違いなく、直接的に悲しげな表情ではなかった。何なら微笑すらあったと言っていい。実際、友人は回復しているし、癌、手術というだけで悲しげな表情にぱっと変わらなくて全然問題ない。私とその友人について、もっと広範囲で長い時間を父親は自覚せずとも眺めていたのだと思う。立て続けに私は父に、癌に気を付けて、と紋切り型のような言葉を投げ掛けていた。これこそ、紋切り型のような口調で言った方がまだましだったかもしれない。また、今にして思ったことだ。実際は、もっと湿った深刻そうな、真面目そうな口調だったと思う。父親の表情や口調とは対照的だった。認めたくないが、姿勢自体が逆なのかもしれない。とにかく、はっきりしていることだが、父親は、またしても可笑しそうに、口は開けなかったが今度は微笑ではない笑みを浮かべていた。
 父親に確認する術は今のところないし、生きていたとしても本人が覚えている可能性は高いとも思えないが、私も父親も、どこか自分の命を軽く考えていたことに思い当たり笑ったのだと今は思う。もっとも、笑いは単一の理由からではなく、色々な経験や対象から沸いてくるごった煮のスープのような気分も含んでいるだろう。この場合だと、自分の息子に心配されるようになったのか、という自分に対する情けなさや、私に対していっちょ前にそんなことを言うようになったのか、という生意気な子供に対して沸いてくる呆れたような気分もあったのかもしれない。色々な気分が連携し合って、その表層にある、気分と比べたらまだ他人に言葉として説明しやすい主要な理由というものを手助けしているように思えてくる。ここまで書いていたらまたある笑顔を思い出していた。それは、別の場所で書いた私が好意を抱いているKという人の笑顔だった。5年程前の夏、よく行く飲み屋の前でばったりと会うことができた。その時の会話の中で、私が父を亡くしたことでおかしくなっていたと自分で言い訳を理由にすり替えて口にした。すると、そのKという人は飲み屋のオーナー婦人の父親も亡くなったことを笑顔で告げてくれたのだった。あの笑顔をどう思ったかは言うまでもない。今また思い出して、呆然の意味が広がったような気にもなる。良い呆然。でも、呆然としていた、と言いそうになったら、代わりに、その時の気分を一つずつ取り上げようとして説明を試みる方がいいかもしれない。