Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

震える

 「人生はあっという間に終わる」ということは、当たり前のこととして頭に入っている一方で、いつの間にか失われていたのがある時再生したかのように、新鮮な発見として登場することがある。最近も、この寒気のように頭の中に登場してしばらく停滞していた。そうか、やはり人生はあっという間なのか、と思った。そんな態度なら尚更あっという間だろうと、今思う。安閑としていると加速するのが人生の終わりに向かってのスピードということか。
 新幹線の中でここまでとここから600文字程度先までを書いていた。乗車してから1時間半程度経ってからで、目的地までは残すところあと35分程度となっていた。書いていることに影響を受けやすいからか、考えていないだけなのか、こうした重い腰を上げるまでに時間が掛かる態度も、人生に対する態度そのものに思えてくる。一事が万事か。人生という言葉に無意識のうちに何だか長い期間を想定してしまっていることに気付く。一瞬も人生なら、重い腰を上げない人生なら、割と早く改善できるような気もしてくる。でも、良い方向に早く向かうものは悪い方向にもまた早く向かいやすいはずだと、自動運転のようにはいかず操縦し続けるしかないのが人生かと思う。そして、甲斐バンドではないが、矢のように走るのぞみの中で人生の速度について考えるのも、何だか相似形を成しているようで、やはり書き進めてみようと思った。
 加速や重い腰といえば、ちょうど昨夜からこの昼過ぎまでにかけてもまさにそうだった。広島の日本酒や焼酎を、現地の風通しの良い立ち飲み屋で知り合い、今回再会となった男性と飲みながら、原爆や日本や最近のニュースや、その他雑駁とはこのことといった題材を、対岸の火事のくせに夢中になって話して、そろそろ帰るように諭され、一人まだコンビニで酒を買っていたのだった。翌朝は翌朝で、自分のスマホのアラームを止めては「あと5分だけ」を一人芝居のごとく何度も繰り返し、ホテルでのチェックアウトぎりぎりに飛び起きると、窓を開け戦争のように身支度とアルコールティッシュでの拭き上げを済ませ、酔いが残ったふらつく頭で飛び出していた。もしコロナを付着させていたらという恐怖感や罪悪感の名の元に、自分が触れた場所をアルコールティッシュで拭いて回るという自己満足な行動を、二日酔いだろうが実行しているのは感心もしつつ呆れるばかりだ。
 午後、オロナミンCが効いてきたのか、二日酔いから立ち直りつつあるのが分かると、そのまま昨年末気になっていた美術館に向かった。全く知らない作家ばかりだったが、南薫造という方の「六月の日」をはじめ、新鮮で眩しく感じるものが多々あった。その時も思ったし、小学校低学年の頃にも郵便切手を見て思ったことだが、絵はあまりに昔、例えば明治期の作品であっても、つい最近の作品のように映ることが少なくない。時々、その最新性とでもいうべきものに少し恐ろしさを感じる場合がある。嫌な類ではないのだが、ぶるっと震えることはある。
 電車の中で飛び上がっても、後ろに飛び去らず、元の場所に着地するように、「人生はあっという間に終わる」もまた、最新性をまとって自分の頭の中に居座り続けているということかもしれない。これが新鮮に浮かんでいる時のことを思い出してみると、嫌な類ばかりではない。刹那さは覚えても、震えるほどではない。寒波に震えている場合ではないのではないか。この言葉が次に浮かんでくる時には、絵が持っている恐ろしさを纏わせたい気もする。この言葉を絵にするのが、自分の文章であればいいと思う。