Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

冬の大型ショッピングモール

 ランチらしい時間にランチ目当てで外に出ると、3月下旬のような気候だと感じた。それはすぐに、もう冬が終わるのかという残念な気持ちに変わった。いつの間にか冬好きになってもう十年近くにはなるだろうか。幼少時から夏大好きと公言していて、今も夏が嫌いなわけではないけれど、はっきり好きというには冬の方に分がある。あ、いきなり天候という外部情報も外部情報から始めてしまっている。でも今日はすぐにこれでいいと思えた。何故なら、自分も天候の一部だと考えれば、内部情報から始めていると思ったからだ。そうなると、お天気屋さんというのは、それだけでは何の説明にもなっておらず、みなお天気屋さんということになるなと思って、少し微笑ましくも感じた。
 室内外、国内外、喜怒哀楽等ありとあらゆる感情の下といった諸条件のいずれの場合にも、天候から切り離されては存在していない。天候は衣服で家屋で体液で皮膚で身体で、要するに全存在みたいなものだ。そんなことがばばっと浮かんでくる。当たり前のことを思い浮かべていると思った。それでも、人類や生物は皆兄弟だと言われるよりは、君も彼もあの犬や猫やカラスも天候だと言われる方がしっくりきて、愛おしい気持ちが入道雲を先取りするように季節を問わず湧き上がってくる。
 夕方、早めに仕事を切り上げて大型ショッピングモールを歩き回っていた。相対的には、大型という寄り巨大といった方がいいだろう。これまた季節を問わずに安直なイメージとして浮かんでくるものが、この場所にもある。この店舗内に、小さな店が並んだ商店街を思い浮かべることなら容易くできるのだ。そこには専業としての八百屋さんや魚屋さん、肉屋さん、雑貨屋さんと個別の店主や店員がいて、その人達との関わりを無視してまとめて孤独に一つのレジに直行なんてわけにはいかない。人嫌いの人から見たら、はっきり面倒なシステムだといえる。一方、そうでもない人には心地良かったり、普段は何も感じなくてもふとしたきっかけで愛おしさを感じる環境なのだろう。こう書きながら、自分は後者の方にはまだいるのだなと確認することになった。いつの間にか、今後そうでなくなった時には、季節ではないが、変化の一過程と思うようにはしたい。安直と言ってみたものの、時々、この光景を思い出すようにしようと思った。
 ところで、ここまでで何だかノスタルジーというか、昔のシステムを賞賛するような文脈が現れていたとしたら、それは違う、ちょっと待ったとは言いたい。ノスタルジーなら、いずれ今夕いたこの大型ショッピングモールだって、「あの場所は良かった」と振り返られる対象になっていくはずなのだ。例えば、一切外出が不要となっただけではなく、肉体として存在しなくても自己が維持できるようになったような世界で、それでもなお社会らしきものがある、そんな状況下といった極端な例を挙げなくても、もう既にそういう懐古なら始まっていると思う。言うなれば、季節とは違う加齢寄りの変化として、生きている年数に比例して懐古は進んでいくような気もする。生まれた時から懐古の旅が始まるということか?
 今夕、この大型ショッピングモールでいいなと自分の気持ちが傾いた瞬間があった。それを忘れずに記録しておきたい。それは、個人商店から抜け出してきたような中高年の店員とあちこちですれ違う中、起こった。いきなり、アンドロイドになるわけではないから、そりゃあ、数十年前に個人商店でよく見た店主と今の店員の人達でそれほど外見は変わったりしない。だからこそだと思った。そういう個人商店の店主達が、自分のテリトリーではない、いってみりゃあ旅先で働き始めたといった光景を頭の中に投影していた。その投影した映像に、後付けでナレーションを加えるなら、「そういう場所に、大昔の風習(個人商店内で適当に会話も交える、今から見れば効率的とはいえない買い方)なら見事に残ったままの自分が訪れて買い物をしており、すれ違う店員はみな、会っていても然るべき人ばかりのはずなのにみな初対面という、なんて寂しさに似た気持ちを喚起する場所ではないか!?」とでもできるだろう。でも、確かに寂しさというか、切なさにも言い換えられるもどかしさがそこにはあったのだが、それでも、この手が届きそうで届かない、自分の知っている場所への扉のような光景が、冒頭に挙げた冬にも似て、相手を一個人として眺めようとする清々しい緊張感に繋がっているのかもしれないと、そういう風に考えたから心地良くもあったのだろうと、今考えた。