Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

お好み焼き

 呉に上陸した。大げさでなく、船で小ぶりな港に着岸する感じが、まさに上陸なのだ。昼食時ということもあり、着いたその足で、よく立ち寄るお好み焼き屋さんに向かった。よくとはいえ、まだ5,6回目なのだが、今回初めて入り口に積まれたキャベツの箱を見た。いずれも「福岡」と書かれている。何も不思議なわけでも間違っているわけでもないが、ほどなく昨年5月に訪れた苫小牧駅前のドン・キホーテを思い出していた。
 苫小牧駅から直結しているそのドン・キホーテの店内には、もちろんドン・キホーテがあるわけだが、それだけではなく電機店や紳士服の店や薬局といった全国でチェーン展開している店を格納している。つまり、イオンの大規模店舗と同じで、ショッピングモールとなっている。これもまた不思議でも何でもないことだろうが、施設内に足を踏み入れたばかりの私は「ドン・キホーテもここまで存在感を出すとはなー」と驚いていた。そして、「どの店舗も、自身の名を冠するショッピングモールがあってもおかしくないくらいの規模を誇っている。いや、規模と無関係に店子は必ずしも店子のままであり続けるわけでもないし、大家だって同じことだろう。みんな大家側でもあるのに、入居側の印象の方が強い」と考えをまとめて、そのままにしていた。
 結局今日も、「サイコロの目のようなノリで誰もが大家になっても良さそうだが、実際はそうはならないわけか」と殆ど変わらないことを思ったので、考えは昨年から進んでいないように思える。もう少し考えてみた。「個々がバラバラのままフラットに関係し合うことは、何も悪いことではないだろう。でも、誰もが大家を交代で務めるというのは、それとは違うが、これも悪いようには思えない。前者にはない時間の厚みのようなものが得られそうな気もする」と浮かんできた。前者の方が、現在進行形の、良案とされる考え方なのだろうが、どうも後者も気になっている。もしかしたら、個であるということの条件には、共同体を運営する時間を持つこと、というのがあるのかもしれないと考えてみた。
 証明もしていないのだから、腹落ちはしていない。一方、お好み焼きの腹持ちときたら大したものだ。4時間程経つが、小腹が空いた感じもなく、食後小一時間後くらいに眠気が襲ってきたもののそれを乗り越えたら、ちょうど良い具合のままだ。エコノミーは広島弁でオコノミーと言う。そんな嘘をつきたくなるくらいだ。ところで、この各素材の集合体としてのお好み焼きの大家は、通常誰なのだろう?と、ここまでの考えに沿ってみれば自然な問いが浮かんできた。「キャベツよりは小麦の感じだが」と思いながら、こういう賃貸の構図をお好み焼きに当てはめるのは不適切かもしれないと思って考えるのを早々に切り上げた。こういう逃げ方は、ソースをお好み焼きの全面に塗るのと似ていなくもないなと思った。