Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。

長い今「井上陽水 氷の世界ツアー2014」初日開催前

4月6日だというのに、冬のような、雹が降ったらしい今日、松戸に向かいながらこれを書いてみる。
唐突あるいは今更か、昔から、もしくは若い頃は特に、近い過去に関心を覚えていた。具体的に西暦何年から何年までという区分は設けられていないのだが、最も古いのは昭和初期からという感覚がある。
何故?と考えると、外観やブランドといったディテールは異なれど、今と同じ製品、サービス、政治、法律、思想の端緒が、既に生活の中に姿を表しており、私自身との繋がりが実感出来るからだと考えている。昔と思えない。自分が生まれていてもおかしくない気もする、それが私にとっての近い過去だ。
もっとも今に繋がっていない過去はないはずだが、これが縄文時代はおろか、幕末にも、あまり関心は向かわなかった(最近は双曲線のように、古代に関心をやや覚えるようになった気がしており、事情が異なってはきた)。入試(これもまた今だ)の「歴史」で一番ウェイトが低かった昭和について、熱心に勉強していたのも元々こういう志向性があったからだろう。
 
今日から井上陽水氏は、松戸を皮切りに全国20数カ所に及ぶ、1974年に発表されたアルバム「氷の世界」を中心に据えた、その名もずばり「井上陽水 氷の世界ツアー2014」を始めるという。ひと月前にはローリングストーンズを観たから「無情の世界」に続いて「氷の世界」か、天気までぴったりだな、などといった軽口が出てくるが、本当は逃れられない問いが浮かんでいる。何故、今、始めるのか?そして、どうなるのか?
分からない。いや、分かっている。つまり、分かりたい。もちろん、彼自身がラジオで発言していたように「40周年(という感謝)」、「時間が経つことで、自分自身もファンも作品をどう感じるか(という実験)」といったことは、十分理解出来る理由だ。それもこれも「氷の世界」という今がずっと続いているからだろう。
 
1980年代半ば、いとこの膨大なレコードコレクションの中に、彼の作品群があった。気付けば、ファーストの「断絶」から発表順に、まさに新譜として体験を重ねていた。没頭していた。それは、1950年代や60年代に生まれた彼のファンのそれと極めて似た行為だったはずだ。透明の下敷に彼の写真を入れたり、昼の校内放送向けに「断絶」をカセットテープで渡し、掛けるように直談判したりした。あの頃も、今なのだとしたら、これから始まるコンサートでは今がどう変化するのか、さていよいよ寒さが到来するのか何がどうなるのか、いずれについても体感しやすい当事者となる時間がやって来た(続く)。