Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

店舗

 昨夜初めて入るスーパーマーケットで買い物をした。酒を断ったことが影響している気がした。いつもと違う場所や経験で、飲酒欲求は抑えられるというジンクスのような経験則として自分を騙しているルールがあるように思うが、それを利用した。初めての店内は、いつもの大型ショッピングモールと比べ、一瞥して同じ商品が少し高い値段で並んでいて、その種類は少なかった。狭いスペースもあってか、総合的な不便さとでもいうべき、それでいて素朴な空間に、幼少時から青年期の頃の近所の店内を思い起こして、悪い気はしなかった。品定めをしつつ周囲にも目が向かっていた。一見ではなさそうな、ここを日常的に利用していそうな高齢の女性が、ゆっくりと品物を手に取って包装を眺めている。彼女はその後レジで見掛けたが、再会したことを喜ぶレジの店員と少し長い立ち話をしていた。その後ろに意図せず並んだが、店員を急かさないように視線を逸らしていた。いつの間にか身に付いた所作というものか。それでも、そんな配慮は不要だというものか、全く意に介せず、むしろじっくりと会話を続ける感じが店員からは伝わってきたので、ほっとした。時間にしたら、そんなに長くないのだが、私が後ろにいようが、確固として慌てず会話を続けて、きちんと会話を終える、そんな態度を目の当たりにしたことが嬉しかったのだとこれを書き始めてから思った。

 その女性を見ていて思うことがまだある。徒歩だと少々きついが、自転車で10分程度飛ばせば大型ショッピングモールがあることを、当然彼女も知っているはずと。つまり、金額の多寡だけで店を選んでいるのではない気がした。自分の領域に留まってる、否、留まっているだと行動に制約を設けている度合いが高く、実際はもっと能動的な意味合いを感じるので、自分の領域を選んでいると思った。この視点で世界を捉えると、昔から漠然と思ってきた考えに思考停止せず、移動を続けることができる気がしてくる。その考えとは、「結局、部屋や建物で視界を遮ろうと、世界は繋がっているのだから、世界のどこか一部でも汚れていれば、自分の部屋が汚れているのと大して変わりはないだろう。この状態は、ゴミを集めているようだが、後部のファンから多少なりともゴミを空気中に排出している掃除機に似ている。世界が全部きれいにならないとどうしようもない。」といったものだった。

 さっきからずっと、心の奥に本当の気持ち、あるいは普段は意識し得ない気持ちがあるような気がしていることが、気になる。いつもそれを探すのが書くということで、書いたか否かは、その見えなかった気持ちに多少でも触れたか否かの違いだと思いもする。性善説ではないだろう。意識し得ない気持ちがとんでもない、否定したくなるものだってあるはずだからだ。それでも、無意識的には、自分の中に善なのかどうかはともかく、清いものがあると思う。この根拠は?と自問して、自分が自分だけのものではないからと自答した。否定したくない。亡くした友人や家族の意識や意識を形成した物質、呼吸した空気は間違いなくまだ、この大気圏内にあるはずだ。否、大気圏外だとしても同じかもしれない。周囲にあるということにおいて。私の意識に彼らの意識が混ざり合ってくるということは体感し得なくとも、彼らを生かす媒体になっているのがこの身体や思考だと思えてくる。彼らが利用していた店舗を訪れてみようと思う。