路線
誕生日、数人としか会話を交わさなかった。15時前に安ホテルで目覚めた。目覚ましをセットしていないとはいえ、前日3時間程度の睡眠だったからか16時間程、眠っていた。前日からの雨が強まっているのが、カーテンを開ける前に分かった。程なく、翌日まで山陽本線の運行状況を気にすることになった。
一番最初に会話を交わしたのは、その山陽線大竹駅の駅員さんとだった。改札をくぐるとすぐに、「運転を見合わせております。再開の目処は立っていません」のアナウンスがあり、駅員さんと「再開の見込みは?」「分からないです。多分、これから雨足は強まるはずなので、今日は無理だと思います」といったやり取りをした。その時も思ったが、こうして眺めても、より主観を提示してくれていて、昨今公の立場からの発言にはこうした主観がないと感じる分、新鮮だし、有難い。
それにしても、前述の通り、運行状況のみを気にして、災害の可能性にまで気が回っていないのがありありと分かる。広島ということで、原爆に思いを馳せる一方で、現在の原爆的なものには意識が向かっていない。全く、自愛の路線ならどこまでも伸びている。延びているでは? と上っ面の表記を挙げて自問し、思考停止からの再開なら、後回しへと延びていると自答する。認めるところから、始めるしかない。また再確認したのだと思いたい。
当日も思ったことで、書き残したいことは、他にもある。それはまた表記を挙げるようだが、この「一番最初」というものだ。再び、この場所の他の、何なら前回の記事と同じことを書くことになるだろう。でも、それだけ頭の中を占めているのだろうから、かまわず続けてみる。
とにかく、「一番最初」だとか、「好き嫌い」だとか、類似点や相違点だとか、書き始める、書き進めるのに、揚力となるような、つまり、書きやすい視点を利用しがちなことが気になったのだ。このこと自体、書きやすい問いという視点なのかもしれないが。でも、そう思えば、「だからこそ、書きにくい場所へと向かわなければならない」という、「何故、難しいことから逃げないで考えないといけないのか?」という、これ自体普段考えることから逃げがちな問いに対する回答を意図せず見出した気がして、嬉しくもある。
書きやすいことから始めたとしても、それを書き進めることで、やがて難しい選択が登場すると思う。登場しないなら、それは書き進めていないからだと思う。そして、その難しい選択を通過するなら、その文脈は自分にとって生きたものになると思う。鉄道にこじつけるようだが、まさにこの選択は駅で、この文脈は路線というものだ。
また、路線は一つではない。あるいは、一つだが、止まりながらも走っているというような矛盾した状態が、思考の路線では今のところ唯一可能だ。これらのことは当たり前の話だが、これまで私は、走るか止まるかで捉えがちだった。大雨や、原爆という脅威を持ち出し、止まるのは、別の文脈、路線での役割と考えることにした。この止まらない路線というのは、人生そのものの動き方ではないかと思う。当たり前だとしても。
不思議なことに、目的地の一つであった、欲求を口にすることが少ない祖母が「行ってみたい」と何度か口にしていた宮島も、広島市内の銭湯も、原爆ドームや原爆資料館も訪れないまま、大竹市で、他人から見れば幽閉されたように、されど本人からすれば実にのびのびゆっくりと過ごしたが、体感上は、何だか多くの行動を成し得ているような、充実した感覚だった。駅以外の会話は、喫茶店やお好み焼き店での、注文と会計時の会話ぐらいしかなかった。それでも、先週の土曜日の夕方、2時間程度、うたた寝をして目覚めた時の多幸感にも通じる感覚だった。そのうたた寝から目覚めた時は、驚く程、新鮮な多幸感だったのだ。
翌日再開した山陽線で広島港へと移動した。そして、気付けば、松山にてもう二日が経っている。15時前、まだ外出せず。それでも、充実した路線上を走っている感覚はある。そろそろ実際に、外出することにする。