Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

同時

 昨夜、文章を進める話を書きたいと思った。今再び思い出した。文章を、何をもって進んだと、当人が実感するのか? あるいは、何をもって進んだと実感できないのか? それを突き詰めて描写するなら、自分との会話というより、自分との対話に近いやり取りが継続してできるはずと思い期待もした。この場合、会話の方が対話よりも表面的で、実行しやすいものとして区別している。

 2日徹夜して書き続けるのも相当難しいが、たとえそうしたとしてもいずれ、書くは書かない状態へと着地する。そして、再び離陸した際には、実は別の便に乗っているのでは?という不安に苛まされたり、実際別の便に乗っていたりする。想定の有無を問わず、変化にも、許容できるものとそうでないものがある。

 「同じ便と違う便の両方に乗ることができる、それが書くという行為では?」と浮かんだ。それを言うなら、着陸と離陸もまたそうかもしれない、でもそんな状態は想像がしづらいと思った。昔、文字の上にさらに文字が書かれた文章を、どのようにして同時に読むことができるようにしようと考え、そのままにしていたのを思い出した。この中にも、同じ便と違う便、着陸と離陸が同時にあるということか?