Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

意識

 深酒ではないが浅くもない飲酒量だったので、中酒とでもしておこうか、ともかく丑三つ時の終わりに眠ったこともあり、起きるのはまたしても正午過ぎとなった。午前中にも一度目が覚めたが、義務のように少し無理して二度寝を意識したら入眠していて、次に目を覚ましたのは、正午前にカラスが絵に描いたような鳴き声でカーカーカーと窓のそばを通り過ぎた時だった。今の住居に住んで以来、最も接近したような気もして嬉しくなったが、いつの間にか眠っていて、しまったと思って目が覚めたのが、正午過ぎとなった。
 目覚めてすぐ、音楽が聴きたくなった。それは、LED ZEPPELINの1stアルバムだった。寝起きの水のように、身体に染み渡る感じで、これまで何百回となく聴いてきたはずだが、こんなに凄い音だったか?!と驚くことになった。決して良いステレオ環境ではないのに、そう思えるのが嬉しかった。「明らかにそれまでのロックの音とは違うと、良くない音質でも分かるとは」と喜んだ。
 このアルバムで思い出したことがある。二十代の頃、友人とカッコ付けで入った大阪のとあるアイリッシュパブで、好きなレコードをリクエストできることになった。その時、このアルバムのDazed and Confusedをリクエストした。周囲には、複数の英国人だかアイルランド人だか、ともかく英語圏の白人がおり、思い思いにそれぞれが会話をしていたのだが、彼らをハッとさせよう、彼らの態度を変えてみようと思い立ってのことだった。友人に「まあ、このソロが始まったら、絶対会話がいったん止まって注目するって!」と得意気に告げていたことを思い出す。結果は、何も変わらず、ただ私が盛り上がり、友人が苦笑しながら「全然反応がないぞ(笑)」と言っただけだった。
 こうした第三者を意識しその変容を期待する行為は、私の中で氷山の一角なのだろうが、覚えているものとしては、それを遡ること約10年前の10代の頃にもあった。三宮へと向かう阪急電車の中で、友人と努めて標準語を話そうと試みていたのだった。何を話していたのかはまるで覚えていないが、「これさー、〇〇だったんだよな」とか「それがさ、〇〇でさー」といった口調だったのは間違いない。殆ど周囲は関西人に違いないとの確信の上で、周囲の態度の変化を味わおうとしていたのだった。
 くだらないことのようだし、事実くだらないのだが、今にして思えば、こういう性向というものは別に私や友人に限ったものではなく、いつでもその辺に転がっているものだと思う。そして、安直だとしても、これを書き始めた時から、SNSがどうしても想起される。でも、くだらないにしても、こういう性向がなくならないことを前提にすれば、「これは社会を意識する態度はなくならないということでもある」と考えたいとも思う。昼間のカラスのカーカーカーを再び意識してみた。カラスは何を意識しているのか? カラスの勝手でしょうかもしれないが。何も意識せずに発していることがあるとしたら、カラスがこれまでより、さらに輝いて見える。