進める
矢沢永吉のコンサートを武道館で体験した。一昨日のことなので、まだ最近も最近のはずだが、当日終演後から既に、どこか遠い昔のような白昼夢のような感覚を覚えていた。生涯で一番と言ってもおかしくない会場のマナーの良さ、熱狂に二律背反しそうでしないピースフルな雰囲気に包まれていたとはいえ、セピアではないが、当日のうちに古い記憶のように感じるというのもおかしなものだ。決して不満足どころか、冒頭の知らない曲から数曲を経る頃には、勝手に目頭が熱くなって、「永ちゃーんっ!」と叫んで、夢中になっていた。それでも、自分の意志とは無関係にどこか醒めていく状態があるのを否定できない。昨夜遅く、キャロルをYouTubeで観ながら、キャロルが逆にそれほど古くないと錯覚しようと思えばできることにも気付いた。時間の感覚というものも存外、バリエーションに富んでいるものだ。
ともあれ、本当に忘れてしまわないうちに当日のことを記録しておきたい。何だか記録することが当然のような、それが礼儀である気がしたのだ。当日は昼過ぎに起き、ほぼ寝起きのような状態で向かったが、会場についた頃にはすっかり真顔になっていた。目が覚めるどころか、真剣という意味での真顔だ。席に恵まれたおかげで、常時3-5メートル先に彼を視認できた。驚くほどスリムで足が長い。でも、身長180センチには見えなかった。実際は、バンドの他のメンバーと並んだ際、長身であるのはすぐに分かるのだが。程なく、摂生と鍛錬の賜物のはずの、その岩のようであり虎や竜のようでもある彼の体躯が、それでもなお、40代や50代のものではないと確信してしまう、ファンらしくない観察結果が勝手に頭の中に浮かんでいた。でも、老人とはとても思えなかった。今日、言語化を試みて、ちゃんと加齢すべき点を弁えている、言い換えれば、老いに堂々と抗っている部分と老いを堂々と受け入れている部分の両方に、彼は真剣なのではないか?と思った。どちらか一方だけでは、どこか怠惰な気がした。こういう考えの前に、当日既に彼のある発言に注目していた。それは、彼が自分のことを「おじさん」と呼称していたことだった。「おじさん、よく上手く演るもんだねー(笑)」といった発言だった。「おじいさん」や「老人」ではなかったことが嬉しかった。居丈高にもならなければ卑下もしていない、堂々とした姿だ。かっこいい。やっぱり、永ちゃん、かっこいい。
終演後、マナーは極めて良かった退出の光景に自身も混ざりながら、「みんな永ちゃんが本当に好きなんだな、このマナーはそうじゃないと起こり得ない」と思った。とはいえ、物理的には相当な人数だったため、帰宅には時間を要した。駅までの道を、途中からなるべく人混みを避けるように遠回りに遠回りを重ねて、Googleマップに頼りながら歩いていると、結局1時間以上を要して、目に入ったなか卯に「そうだ、永ちゃんといえば、うどんだな」と立ち寄り、そのまま高円寺に向かった。高円寺で、酒を呑みながら、二軒目ではまた「永ちゃんは、ウイスキーだな」と勝手な自己暗示的なこじつけをしながら、ハイボールを数杯飲み干していた。
それなりに酔い、帰宅後、洗濯物のうち、部屋干ししていたロンTの左袖が半袖状態のまま乾いているのが気になった。ちゃんと伸ばさずに干したからだが、こういう光景は氷山の一角で、大袈裟ではなく、こんな生活の延長上から同じ会場に入ったなんて、矢沢に悪いなと思った。いくらファンだとしても、いや、ファンならなおさらだと思った。
ベストセラーになった彼に関する書籍『成り上がり』に、全てが収斂されるわけではないが、極言すれば、世の中で起こる大抵のこと、真理のようなものが書かれており、どこに出しても恥ずかしくない本だとは思う。そして、誰もがこの類の本を残すことができるのだと思う。この類とは、形式は様々で良いが、向き合う姿勢としての「自伝」のことだ。形式は様々で良いとしたのは、最初から自伝として書こうとして、既存の形式を意識する度合いが高いと、どこか考えないで、点と点をつなげて直線にする、思考停止状態だが文章は続いているという部分が増える気がしたからだ。形式から考えることは、この思考停止状態を減らす方向に向かうと思ったのだ。
既に分かっていることだが、自伝には多くの人が登場する。自分だけで自分を語ることができたら、それはそれで凄いことだ。こういう構図も、既存ではない形式に出来得るだろう。一方、そういう多くの人の中で、数少ない大切な人という捉え方も浮かぶ。そして、その記述に戸惑うのは間違いないと思う。
思えば、終わりを避けるような生き方だった。一昨日のコンサートの終わりをすんなりではないにしろ、自然体ともいえる状態で受け入れていたのとは大違いだ。祖母の死は、高校二年生の、どうでもいいはずの体育関連イベントの日に訪れた。日中、学校に掛かってきた電話で、知った。もっとも、朝からそうなることは分かっていたはずのことだった。父についても同じだ。十数年離れていて、亡くなる数年前に会った時の父の生活やちょっとした仕草にちゃんと向き合えば、父が倒れてもおかしくないことは自明のことだった。2011年に会うことができながらも、その後、保身ばかりをさらけ出した挙句、2020年になって一方的に身勝手な好意を伝えた人についても、同じだ。
ちゃんと接しなければならないのであって、もちろん、終わらせることが目的ではない。でも、進めないといけないのは間違いないのは分かっている。自然に身を任せての進むだけでなく、自分で何かを進めるということが、自分を進めるということだと分かっている。会場からちゃんと出たのだって、大袈裟でなく、この類ではある。もっとも、物理的には進みにくかったが、会場からの退出は進めやすいことだった。進めにくいことを進めることに意味があると分かる。1年近く前に、一昨日のコンサートに行こうと、ファンクラブに入ったり、だいぶ先のことに対し、「もう今回は観ないと!」だったか何かは忘れたが、タイミングのようなものを感じて行動していた。友人は亡くなった後だった。直樹が亡くなったのは、もう1年半以上前になるのかと思う。直樹は言ってくれた。「そんな好きな人がいるんなら、自分の気持ちを伝えないと、連絡しないと、その方が後悔するぞ」と。直樹を亡くした後悔は、これからどれだけ大きくなるのか? そういう思いと裏腹に、大きくもならずに、このまま生きていく気がして嫌になってくる。
とっくに終わっているとしても、まだ終わりではないと思う。それは、ラストワンマイル的なものかどうかは分からない。終わらせようとは思わないが、進めるという行為を後1回行いたいと思う。その先にある状態の方が終わりだと思うからだ。矢沢ならとっくに「汗をかけ」と言うだろうな。