Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

夕方からの一日

 夜更かしをしたわりには、昼かと思い目覚めると9時だったので、目を閉じた。次に目覚めると12時50分だった。中途半端だと思い、洗面し歯磨きを終え再び眠ってみると、次は18時を少し回っていた。20代の頃は当たり前だった20時間睡眠が今はできないものだ。とはいえ、こういう息継ぎをするような長時間睡眠は久しぶりだ。思えば、週末は殆ど不在にしていたので、こうして自宅に籠もっている状態自体が珍しい。でも、新鮮という感じはまだない。惰眠を分かって貪ったはずだが、どこか元を取らないとと思う気持ちも消えず、夕方から近所に宿泊しようかと時々休眠している旅のサブスクHafHくらいにコピーしたままだった矢沢のCDを再生した。アルバムタイトルのYOU, TOO COOLに反して暖かい印象が部屋に漂うのが面白い。どうせなら朝食っぽいものをと、トーストとゆでたまごとクラッカーとスープとコーヒーをテーブルに並べ食べ終えると、20時過ぎだったが、出掛ける気分になっていた。
 賃貸マンションのエレベーターのボタンを押そうとすると、誰かが戻ってきたようで先に押され、エレベーターは下に降りていった。私の住む階の二つ下まで上ってきたエレベーターを呼びながら、「本当にちっぽけな存在にさせられているということなのか? やっぱり、もっと大きな存在というか大きいとされている権力的な存在に、上手く管理されているということになるのかな? 前者と後者だとまるで違うものだが」と、普段殆ど言語化しないことを思い浮かべていた。箱の中でのアップダウンというステレオタイプな構図と発想だとしても。どこかで自分が頭の中のボタンを押したから頭の中に上がってきた考えなのだろうが、エレベータと違い、押したという自覚はない。自覚がないボタンを押し合う関係として、自分達は生きていて、行き交っているということなのだろうと今思った。
 とあるコーヒーチェーンの入り口に近い席で、間隔を一席分開けて座る。珍しくMサイズを頼むと、レジでは「真ん中のサイズですね」と返ってきたのが新鮮だった。たまに違うサイズにするのも面白いものだなと思った。
 日記らしい日記を書こうと冒頭から意識して続けてみた。明日は早起きするつもりだ。不在通知が入っていて保管先を変更した日曜営業の郵便局に行かねばならないし、ゴッホも観たいし、ショッピングもしたいし、とある勉強もしたいからだ。こう書いている間は、すきま時間などないくらい、どれも意識を詰め込みながら書いてしまうイベントだ。そもそも、すきま時間という言葉は好きではなかった。奥歯にすきま時間が挟まっているような、せこせこした動き方はしたくない。そんなことを、言ってみる。小市民だとしても、最初から小市民だから言わないでおくというのは違うと思う。すきま人生という言葉が浮かんだ。ほんのわずかな記録に残らない一生。もしそうだとしても、総じて人生は長いと思う。それがわずか一日だとしても。夕方起きて分かったのでは遅いというものだが、そう言いたい。もっとも、早朝には早朝の魅力があり、早起きは人生を長くするためというよりも、その魅力を眠い目を擦るながら味わうためにもしたいのだ。今はこう書いているし本心だと思うが、0時を過ぎるとなかなか簡単なことではない。