Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

長い今「井上陽水 氷の世界ツアー2014」初日開催後

 空虚なのか、その逆に吹雪が吹いているのかといった矛盾した精神状態でホールに入ると、私のヒーローだったカーリーヘアの陽水氏の画像がステージのスクリーンに次々と表示され、Good Good Byeを始めとした数曲の一部分が繋がって流れていた。そのまま待つこと10分足らず、すんなりと彼が登場、レノンの「Love」、「感謝知らずの女」、「水瓶座の夜」が立て続けに披露された。(ああ、アルバム氷の世界の曲だけでなく、他のアルバムの曲も氷の世界に収斂させようとしているのだな。)なんて考えていたら、彼がいつもの彼特有のユーモアあふれるあいさつと共に、切り出した。なんとアルバムを曲順に演るらしい。

「本日は桜舞い散る中、あ、桜が咲いて散る時期なんですよね(笑)、お越し下さりありがとうございます。桜といえば、ネガティブといえば話が長くなりますが、 私はどうしても、せつなさだとかはかなさを思います。今日は「氷の世界」というアルバムが発売されてから40年ということで、アルバムの曲順にやってみようと思います。このアルバムを聴いていた頃、皆さんは大学生だったり、高校生だったり、中学生だったり、お母さんが聴いていたので知ったり。色々だと思いますが、今聴くと私も皆さんもどう感じるのか。今日の基調ははかなさです(笑)。」

「あかずの踏切り」、「はじまり」、「帰れない二人」がアルバムの通り、メドレーで披露され、「チエちゃん」、「氷の世界」が続く。あまりに淡々としている。でももちろん、悪いわけがない。そして、ここからは、トークがほぼ曲ごとに混ざり始めた。

「昔のコンサートというのは、歌だけでなくて、こうして椅子に座って、トークをしていたんですね。昔はそういう時代だったんです(笑)。松戸は久しぶりに来ましたが、交通の便がいいとはいえない場所ですね(笑)。」

そして、座ったまま「白い一日」の弾き語りが披露された。詞の通り、はかなさでいっぱいの空間を含んだまま「今日も一日が過ぎていく」。

「聴いている人も色々なことを思い出すと思います。当時、どんな恋をしていたのかとか、そしてどうなったのかとか。これは大事です(笑)。そういう(恋の)歌もいっぱい作っていますけど、今から歌うのはあまり恋とは関係ない歌です(笑)。」

冒頭の「めくらの」は「見えない」に置換され「自己嫌悪」が始まった。これは、この日、かなり彼がカーリーヘアの頃のままに思えた瞬間だった。

「こういう歌は、多くの人が好意を持つようなものではないですが(笑)、恋の歌じゃない歌を作りたかったんだと思います。まあ、でも歌謡ですから、次に歌う歌のように、これは恋の歌だぞっていうのもちゃんと作っています(笑)。」

「心もよう」が披露される。それでもやっぱり、正確には恋の歌じゃないと思った。怒涛のような、生と死だ。トークはなく、そのまま「待ちぼうけ」が続く。忌野清志郎氏との共作だから達することが出来た領域を感じる、本当にモダンな曲だ。僕こそいつも陽水氏を待っている。

「会場が落ちるような拍手をどうもありがとうございます(笑)。最近は、ステージに立つのも、皆さんが来るのも命がけですが(笑)、コンサートツアー初日ということで、歌う喜びを感じています。それで、レコーディングでは歌ったけれど、お客さんの前ではおそらく初めてという曲なんかもありました。(会場中、大きな拍手)私のバージニティを奪い取られます(笑)。」

なんと今回が初めてらしい「桜三月散歩道」ではあの曲中の台詞もそのままに披露された。なぜ、この松戸からかが、この曲を聴くとより必然性を持って理解出来る気がした。駅から会場に向かうルートのひとつには、桜並木が並ぶ長い通りがあったのだ。開演前、その通りを通りながら「死んだら、こういう感じだといいね。鬼が立っていたりすると本当に嫌だね。」と友達に言っていた。「今は君だけ、見つめて歩こう」、彼は一人一人に語りかけてくれていると思った。会場から「FUN演ってー!」と声援が飛ぶと、トークなしで「FUN」、「小春おばさん」、「おやすみ」が始まった。

一人一人が集まってのミリオンセラーだったのだ。もう一度一人一人として集まる為に、彼はこのコンパクトな会場を選んだのだと思った。帰りに友達は「こんな不便で、歩道もなく車が脇を通る道を通っていると、小学生の通学路を思い出す。」と言っていた。駅から20分の不便な環境を選んだのも、小学生の頃や昔を今として一人一人が思い出す為の仕掛けだったのだと思った。

アルバム最後の「おやすみ」の後、再び彼らしいユーモアを交え、「リバーサイドホテル」が始まった。

「みなさん、今日は本当にどうもありがとうございます。浮世とか社会的通念だとか、生きていると大変なのですが、本当はこれで終わらせたいかもしれませんが、もうちょっとお付き合い下さい。ああそうかい、あいつもなかなか頑張ってるじゃないかと思ってもらえれば(笑)。」

「リバーサイドホテル」は登場する名詞こそ異なれど、「氷の世界」を歌っているのだと思った。さらに言えば、いずれの曲もユーモアも「生きているのは大変だけどあっという間」ということを繰り返し伝えているのだと思った。そんな生が、彼の詞に頻出する「夜」ならば死は昼なのかもしれない。ややこしいが、夜は不安だったり落ち着いたりする、不安定さにおいて安定さを保っている。それならば、とにかく元気で愛し愛されていこう。楽しんじゃえ。「ジェニーMy Love」が始まった。彼の後ろにあるスクリーンを流れるドット柄等の模様の集まりが、彼の曲同様、同じものも様々なかたちや動きとして存在しながら、同じ方向に動いていることを示しているように見えた。かつてのヒットを集めた同窓会的なものではなく、あくまで今だった。

「楽しい時間が永遠に続くのが望ましいんですけど、松戸に一堂に集まって結構なことだと思うんですけど、さっきも言ったように、浮世とか社会とか出てきたような、時間が迫っていることを僕のアンテナが感じておりまして(笑)。」

おかしいけど、全然不思議じゃないけど、まるで小沢健二氏の「さよならなんて云えないよ」、「僕らは旅に出る理由」だ。「愛されてばかりいると」が始まるとなおさら「愛し愛されて生きるのさ」を思わずにいられなかった。過去から未来へのアンサーソングだと思った。「もっと真夜中になれば」と歌われる「クレージーラブ」が続く。否定も肯定もあることに否定も肯定もない。続く「長い坂の絵のフレーム」も、そうした中立性を「はかなさ」で生き物に変えたような曲だと思った。アンコールの声と共に鳴りやまない拍手。

ここで初めてステージが昼のように明るくなった。この明るさもまた「死」を表しているのかのようにも思えた。アンコールのはじまりは「Happy Birthday」だった。そして、そのまま「夢の中へ」、「少年時代」、「いっそセレナーデ」が続いた。本当に、基調はいつも通り、「はかなさ」だった。

「ありがとうございます。みなさんに幸せを」。

長い今が続いている。