Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

たぬきを包んだ

 広島駅に到着する間際、コンテナが積まれているのが目に入った。中身はコンビニ等小売の商品も多いはずという点で身近だが、この容器としてのコンテナ自体も私にとっては身近だ。というのも、線路近くに住んでおり、夜間貨物列車が頻繁に通過することがあるからだ。思わぬ発見として、人の話し声とは違い、断続的な音であるからか、こうした貨物の通過音は慣れたのか気にならずにやり過ごすことができるのも分かった。
 このコンテナが喚起したものがあった。クリアファイルだ。多用している人も多いと思うが私の場合、社会人を開始した時点から、その多用は始まっていたように思う。クリアファイルに書類を仕分けして封入し、段ボールやプラスチック製の書類ケースに並べて突っ込んでおく。そうした放置に心当たりがある人も多いだろう。かくいう私も、その一人だ。なるべくそういうことは減らそうと思い、事実減らしてはきたつもりだが、それでも、判断保留の象徴としてクリアファイルを使い続けている。何かに収納すれば、判断保留というスキップができる。こんな言葉が浮かぶ。昨日の店子と大家の話が再び蘇ってくる。
 続いて、包装について考え始める。クリアファイルを包装だとすれば、容れ物は容れ物でも、スキップの度合いは少し変わってくる気がしたのだ。ただ仕舞うのと違い、包装という属性を帯びたのであるなら、その先には自分も含め相手が登場する度合いも高いだろう。クリアファイル自体に何か直接書くというのはどうか?と思った。再利用を前提としないわけではないが、収納している中身自体に関係したことを書くのは、何かこれまでよりも事態を好転させるような気がしたのだ。同じような行為が、コンテナに対しても為されるとなるとと考えてすぐ、何らかのキャラクターが登場する広告的な包装が浮かんで、こういう短絡的な発想こそ取り出さずに収納したままにすべきだと思った。
 とはいえ、このキャラクターで昨日ぐっと来ることがあったのを記録しておきたい。港のお土産屋さんで、いくつかのお土産と共に、たぬき本舗の「たぬきまんじゅう」というのを買った。レジのおばちゃんからの「袋はどうされますか?」の問い掛けに「大丈夫です」と答えながら、自分のバッグを広げようとしていると、「ああ、このたぬきまんじゅうには、専用のビニール袋があるので、それに入れておきますね」と言われ、購入した商品が全てその、たぬきのイラストが描かれたビニール袋に入ることになった。たぬきのイラストは愛らしく楽しく、またこの場所の別の記事で書いたような、人が描く動物が喚起する切なさに溢れたものだったが、ビニール袋は本当にただの半透明のレジ袋で、コンビニのレジ袋よりももしかすると弱いかもしれないものだ。偶然だが、たぬきまんじゅうを買って良かったと思った。帰宅してその袋は畳んで仕舞った。剥き出しのままではあるが、自分自体が包装したと思いたくなった。たぬきを包んだと。「狐につままれた」に対する回答にしておこうと思う。