Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

通気性

 高山から帰宅後、すぐに街中へと出発し歩き回る。図書館に本を返却後、次の目的地まで3駅分程の距離を歩いて向かいたくなって、そのまま小走りで辿り着く。小一時間ばかり展示を見渡し、貰ったフライヤーを入れようとディパックを開けると、冷気が手に向かって吹いてきた。冷気を収集して袋詰めにしたみたいで、また、自分が蜜蜂的な存在になったみたいでもあり、面白い。当然ながらこんなことは昨日今日始まったわけではないが、この収集状態を意識するようになったのは、それほど昔のことではなかった。気になったまま、そのままにしていたのでちょうど良いタイミングだと書き残すことにした。
 これが暖かい季節、暖気の場合はどうか? まあ、熱帯地方にいるわけではないから自信がないが、いくら温暖化だといっても、記憶に残るようなディパックの中から暖気が溢れてきたと実感した経験は、ほとんどなかったように思える。冷たさには敏感なのに、暖かさには鈍感ということだろうか? いや、そんなことはない、この半世紀近くを見渡しても、小さい頃は全然設置していなかった家々に、おそらく数十年前までにエアコンは軒並み普及を完了している。人肌のような暖かさを感知しにくいのか?と思った。
 ともかく、人間の身体と違って、ディパックやその素材であるナイロンやポリエステルといったもの、あるいは、機能繊維といわれて登場したコーデュラといった合成繊維でも、自主的に自分達の体温を調整したりはできないから、内包する空気の温度等性質は持ち主や環境次第でしかない。でも、人間もまた、自分では気付いていないが収集してしまっているものがあるということだろう。それは、自覚できないがセンシング機能としての身体が認知している収集物だけではなく、身体レベルでもまだ感知していないものもあるのかもしれない。
 ディパックの場合に再び戻るが、当然ながら全ジッパーを閉じて使用している。それが通気性ということだと突っ込まれるのは承知で言うなら、それなのに冷気を収納しているというのが可笑しくもある。わずか2泊3日だったが、ここで高山のことを再び取り上げたくなる。高山も、盆地ということもあってか、いくら日本一大きな市と聞いていても、どこか閉ざされた印象を覚える場所だった。これは、秘湯にも通じるという意味で、決して悪い意味ではない。そういうジッパーを閉じたのにも似ていなくもない閉じた状態、あるいは閉ざされた状態が、意図せず収納しているものについて考えたくなった。
 その前に、長野の上田や飯田も、山に囲まれている点で土地的にも類似しているからか、同じように閉ざされた印象を覚える場所だったのを思い出す。そして、飯田も今回の高山も、土産物が豊富で、それらの中には安価なものも多いという共通項を見出すことになった。一昨年だっただろうか、仕事関係で、岐阜について「海はないが、鎖国的に交通が遮断されたとしても、自分たちの県内だけで自活できる、それが岐阜」と伺ったことがあったのを思い出し、そういう、恵まれた食材、資源、自然が土産物にも反映されているのか?と想像した。この土産物を購入して、他県でそれを会社や親しい人たちに配るというのは、たとえばらまき型の土産物を選んで購入していたとしても、冷気というよりははっきり暖気寄りのはずだから、閉ざされた高山の町は暖気を放出した、この暖気なら感じることはできるだろう、と思った。
 もう一つ。それにしても、歩くことは快感として、潜在意識下だとか本能レベルの層にインプットされている欲求なのか、昨日に続いて今日も2万歩程を歩いていた。こうしてカウントするのは、何だか加齢が進んだ感じがするという意味で閉ざされた思考回路のようでもあり、目覚ましの鳴る直前に目覚める人のように、いちいち数字を見なくても、「今ちょうど2万歩くらい歩いているな」と分かるような状態になってもいいだろう?と思った。なるほど、これもまた通気性を高めるということかもしれない。