長音
遅い時間まで飲み午後起きると、祭りのお囃子か何かの宣伝かといったひょうきんな声が断続的に響いていた。小一時間くらいしてようやく、選挙演説だと分かった。その後、別の立候補者の声に入れ替わったが、こちらもひょうきんな感じは変わらない。それもそのはずか、今度ははっきり歌が混ざっていた。
続けて、また違う立候補者か一番最初の立候補者かに変わった時、ある共通点に気付いた。皆、語尾を伸ばす傾向にあることに。「まーす」や「でーす」と言っている。長音というやつだ。SNSで見掛けると、幻滅することも多かった表記だが、耳にしても好感は覚えないものだと分かった。もちろん、どういう文脈や状況かには拠るだろうが。
何故か?と考えて、遜りがあることをまず思い浮かべた。相手になるべく受け入れてもらいたいと思うことは、何も悪いことではないが、それを表面的にあからさまに示すような姿勢には好感は持てない。ここで、分かりやすい表現を最優先にする姿勢も連想していた。「分かりやすい物事同士をキャッチボールする関係」という言葉が浮かんだからか、「むしろ、分かりにくいことを、勇気を持って提示して欲しい」と思った。
長音のこの表現は、どこか親しげで間の抜けた印象を与える。でも、そこには、企業のマーケティングに似た狡猾な計算を見た気になる。酔ったり寝ぼけたりしている友達や家族や知人から聴いた長音のことを少し思い出し掛けた。対照的だと思った。切実で、辛くなってくる。