Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

換気扇からラーメンまで

 換気扇の掃除をしていたら存外時間を要した。以前はもっと早く完了していたが、それはこまめに掃除をしていただけでなく、調理の種類も油を使わないものが多かったからだと気付いた。最近の食生活が悪いとは思わないが、以前も別にストイックというわけでもない。特段良いともいえない。
 要は、毎日変化に富んだ食事をしているわけではなく、しばらく特定の圏内というか、それははまっているという言い方もできるかもしれないが、似た物を繰り返し食べているということだろう。これは、食事以外の行動にも当てはまるような気がする。
 緩やかな変化というのは、こういうことかもしれない。自分では気付きにくい。地球の自転に気付きにくいほどではなくとも。そして、自分で気付くのが大切で価値があるとも思う。自分の身体に対して、ありとあらゆるセンシングをしてデータを集めれば、そりゃあこうした変化がつぶさに判明できるだろう。でも、それでは人任せ過ぎると思ったのだ。実際は機械任せでも。
 机上で書いているが、机上でできる経験をもっと増やさないといけないし、それが楽しみに変わると思った。経験を食べ物や栄養素に喩えるのは、安直だが。こう書いていたら、安直からインスタントが喚起されたか、ラーメンを食べたくなった。めったに食べることがない食べ物だ。ごくたまに食べると、おっと思う独特の美味さがある。有り難い。安直と書いていて、日清の創業者を思い出して、失礼な連想をしたと思った。全然、ラーメン自体は、安直ではない。安泰な日々であったが、安全ではない。いや、安全であったが安泰ではない。断言できない日々が続いている幸せを思う。