Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

 吹雪の中を風に向かって進んでくる祖母を再び思い出していた。明らかに今日の天気や外気の影響だ。実直に外部情報の支配下にある。そうしたことから書き始めないという禁則を破っている。でも、今日はその禁則を破る方が書きにくいものを書くことができる気がしたのでそのまま突破してみる。
 向かってくる祖母を、風下の私は
屋内から見ていたと思う。安全圏だらけの温室育ちというわけだ。元々温暖な地域だったが、小学校低学年くらいまではまだ毎冬、雪が積もっていた。祖母と一緒にいた時の大半の記憶が失われたままの中で、この場面を覚えているのは、祖母が虎のような顔をしながら笑っているように見えたのも関係しているだろう。普段は見ない表情だった。虎のようなというのは、口元から喚起されたのだと思う。少し歯が見える程度に口が開いていた。でも歯を食いしばっているというのではなかった。「わー寒いーっ」と全身で話していたのかもしれない。でも、笑っているように見えたのは何故だろう?「仕方がないなー」と、雪に対して諭すように呟いていたのだろうか?と思った。「あんまり無茶苦茶はするなよ」とでも。
 というのも、自然を敬いながらも謙らなかったのが祖母だったからだ。一方的に、怖がりもしないし、過剰に感謝もしない。ただ、心底その場の瞬間を大切にしながら、何かを見守り、育てることで毎日を過ごしていた。炊事や掃除以外の一日の大半を、広大な畑仕事に費やしていた。今にして思えば、実質、その品質や量といった生産性たるや、たった一人の株式会社みたいなものだった。愛情がこもっているのは当然だからか、あらゆる工夫をしていたのだと思う。その辺の小学生より元気な野菜が、どかっと常に収穫されていた。先に温室と使っていたが、野菜にとって祖母こそ温室だったと思う。そういう人が、自分自身は雨や雪であるかのように、写真に自身を登場させることもなく、真っ直ぐに上昇して消えていった。
 何について書こうとしているのだろう? どんないいことを書きたいのだろうか? 最近、同じ方が閲覧の印に「はてなスター」という評価をくれるが、最初はありがたいと思う気持ちもあったのに、だんだんと雪よりは早く溶けかけていることに気付く。他人の評価や差し出してくれた手を拒否しようとする幼少の頃の自分なら、根強く残っている。冷凍庫の中で凍ったまま数十年が経過している、真っ黒い汚れが付いた雪のようだ。間違っても他人ではなく自分で投げ捨てるしかないのだが。
 幼稚園の頃か小学校低学年の頃だった。今日の天気とは対照的な青空の下、運動会なるものが開催され、いつものように祖母が来てくれた。ただ、その日は自分達が座ってお弁当を食べるためのブルーシートを持ってきていなかったようだ。祖母は、すぐに近くの見ず知らずの同級生の母親らしき女性に声を掛けていた。笑顔で「座っていいですか?」と。私は「いいよいいよ!ごはんなんかいらないから!」と言ってその場を去ったと記憶している。いかにも自分にありがちな行動で祖母とは対照的だと思う。適切なタイミングで他人に頼ることができる祖母とその入り口にすら立とうとしない自分の違いは、10歳未満の頃には既にはっきりとあった。「どうぞどうぞ」と、おぼろげにすらどんな顔だったかも誰の母親か保護者だったかも思い出せないその女性は答えてくれたのも覚えている。雪にばかり喩えるのは雪に失礼というものだが、嫌な雪景色を作り出したということだろう。その光景の一部を何十年かを経た今、この場所に写生したのだとしたら、もう一度眺めることをしようと思う。雪は消えても、降らなかったことにはできない。