Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

ワープとユビキタス

 畳の上というと久しぶりに思い浮かべたが、死が結び付きの強い言葉として挙がるだろう。いや、今でもそうなのか? 緩やかにせよ、そういう物言いは減ってきている気がして、いつまで経っても緩やかな変化に気が付きにくいのが自分や人の性なのか?と思う。畳の上に寝転がり天井の木目を見ていた時の心境を再び思い出したのだ。中学校1年生になった頃だったと思う。それまでもこうした木目をぼーっと眺めるということはしていたはずだが、何故中1の頃のことを覚えているかというと、ずばり、中1の自分が「今の気持ちを覚えたまま数十年後の自分と会うことはできないか?」と記憶にこだわった妄想をしていたからだ。具体的には次のように考えてのことだったと、はっきりいつでも思い出すことができる。「こうやって天井を見上げて、気が遠くなるようなこれから先の人生の時間を思って不安になっているけど、この気持ちをずっと覚えてはいないだろう。でも、今から目を瞑って数秒後に開けたら瞬時に30歳だとか50歳になった自分がいるとしたら、中1の今の自分と30歳や50歳の自分が、直接互いに向かい合うことはできなくても、その記憶や意識はつながっているのだからほぼ会話できたということにできるんじゃないか?」そして、実際に目を瞑って開いたりを何度かした。ナショナルの蛍光灯の白い光が、天井の木目を不自然なくらい平穏に映していたことも覚えている。その凪のような平穏な光景に恐怖を見ていた。
 今も興味深いのは、そういうタイムリープ的なものが可能か否かといった技術的な問いよりも、時間の経過を通じた経験の差異により多少だとしても異なる内面同士の持ち主となった過去の自分と将来の自分が、パーテーションで区切ったPCのように、同一人物内で別人同士として対話することは可能か?と自問していたことだ。結局、そんな難問を前に、しんどくなってそのままにしていたのだった。実現するとしたら、ジキルとハイドのようでもあるが、別にこの対話の実現程度であれば、人様に迷惑を掛けることもなかろう。でも現実には、そういう多重な人格が一時的にせよ現れるというよりも、当時の、つまり過去の自分の心境が瞬時に現在甦った、今も昔の自分がいた、といった過去の自分の再確認に留まる気がする。それはそれで正常ということなのだろうが、こうしたワープのような意識のつながり方があってもいいのにと今でも思う。もちろん、生きている状態で。しかし、もっと難問も浮かんでいる。それは、未来から過去への意識と、過去から未来への意識の両方向の流れがあるとしたら、どちらが強いのだろう?認識がより確実なのだろう?というものだ。
 今日、少し早いランチの時間に「今この時代に特に必要なのは、やるだけやって、それでもだめなら、あとは別に自死という意味では決してないが、死んだとしてもいい、そういう覚悟ではないか?」とスマホにメモを残していたが、本当はそれが最初に書きたいと思ったことだった。でも、すぐさま、「そんなのいつの時代だって、そうじゃないか?!」と否定して頭の中からかき消していた。それからすぐ赤ん坊を連れた若い夫婦が入店して私の近くに座った。ほぼオープンテラスで換気が良いがストーブが点いておりそこそこ暖かいので、なんだか安心した。自分のせいで感染させてしまったら、とは思いたくないゆえの他人への配慮がまたしても見事に表れた。
 でも、今回も例外ではなく、そんな薄汚い配慮とは交わりもしないのが赤ん坊だった。なんとも魅力的な、でも色々お見通しだぞと宣告されているような少し畏怖も覚える笑顔だった。ストーブでは全然追い付かない程の熱量を感じる、りんごとほおずきとこけしとだるまが合体したような顔が、時折こちらを向いた。めちゃくちゃ可愛くて、いつものことだがつらくなった。「つらい」などと頭の中で直接的な文字として確認しているわけではないが、赤ん坊を見ると幸せな気分になりつつ、つらくなることが多い。
 気付けば、頭の中で、赤ちゃんの顔を様々な知人の顔に変換する作業を行っていた。成長していないとまでは言いたくないが、冒頭の天井の話と何も変わっていない。偶然にしても、書かないわけにはいかないなと思った。様々な知人の中には、あまり好きではない人も入っていたが、好きな人はもちろん、そういう人についてまで見事に変換できた。ここでいう変換とは、赤ちゃんの顔が瞬時にその該当の人物に変わると想像して、変わったと本当に実感できるか?という問いへの確認作業を意味している。この確認はもちろん、単に首から上の顔だけが変わっているという表面的なものではなく、この赤ちゃんが何十年か経って、その該当の人物に違和感なく行き着くか?違和感なく、その該当の人物に成長し得るのか?という問いを通過するのが前提だ。この赤ちゃんには、失礼で申し訳ないというものだが、知人のみならず、著名人やニュースで見る犯罪者の顔にだって行き着いたのを確認した。そして、少し嬉しくなった。誰にでも赤ちゃんの一面が残っていると考えたのか?
 先に、生きている状態でとした通り、死への相当な恐怖は根強く残っている。これは、生来のことで、小学校2年の頃にはノストラダムスの大予言を知って、何でこんな時代に生まれたんだ?と辛くなってわめきながら泣いているくらいだった。三つ子の魂ならぬ三つ子の自愛の強さったら相当なものだと感心し呆れてしまう。他人よりもまず自分が死にたくないのだ。そんなの当たり前か? いや、そうは思わない経験をしている。そういう人に育ててもらっているからだ。
 いつものことだが、赤ちゃんをずっと眺めていることもできず、むしろその場を若干急いで離れないといけないかのように、すみやかに食後会計へと向かい、振り返らずに退店していた。思えば、こうした幸せを感じるがつらくなる、一方的に私の気持ちにとっては邂逅といえる状況は少なからずある。最近でも、早朝の畑の中で私に背を向けて立ち尽くしているカラスがそうだったし、昨夏だと、しまなみ海道のとある浜辺で、飼い主の横で舌を出したままうつぶせになっていた、ばてているようでもあり嬉しそうでもある犬がいた光景がそうだった。今回の赤ん坊は当然として、このカラスも犬もスマホで撮影することはなく、心惹かれながらもつらくなり、長居せずにすぐにその場から離れていた。
 今日、赤ん坊がいた店からの帰り道、この潔いともいえる離脱についても考えていた。そして、再び死を思った。やがて、この赤ん坊やカラスや犬も死ぬ、その現実を突き付けられているから逃げているんだろう、そう思った。でも、それだけでは終わらなかった。「見えはしないけど、思い出していない言葉のように、彼らは遍在している。だから、寂しかろうが、さっと離れるのだろう」という考えが浮かんでいた。しっくりきた。この考えを持ったまま、後何十年か先に行ってみたいと、これは今思ったことだ。