Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

遡行

 昨日別の場所で、言語化した言葉や文字に比べれば、思い浮かんだ鼻歌の方が、自分の中で言語化される前の最前線にある思いや考えみたいなものに近く信用できる、とは言ったものの、今朝になるとすぐに――鼻歌というくらいだから既存の歌を借りていることも多いし、そうではなくても何らかの言葉を借りているだろう、メロディーだけだとしても何らかの発表され済みの音を借りていることになるだろう、それをさも原初的だから信用できるというのか?もっと混沌としたものがこの前に在るのではないか?それの方が信用できるのではないか?――こんな風に突っ込んでもいた。その混沌の存在は否定し得ないし、拒否したいわけではなく、むしろ確認したいと思う。そのためには、今は言語化しながら遡行という手段を取るしかないのではないか?と思った。
 言語化しての遡行で思うことは実は昨日、既に他にもあった。そういう意味では、今日心に浮かんだことから書き始めるというルールを守っていないことになるが、一概にそうとも言えないので続ける。というのも、強烈にこれが書きたいということが今日は何故ないのか?と思ったのだ。今日も思った。いったんそう思うと、その強烈のレベルにもよるとはいえ、存外そういう日が多いのでは?と想像していた。矛盾するようだが、でも決してまだしないと決めたことやまだできないことを含めれば、強烈にこれが書きたいということがないわけではない。それは一点、いや二点、あることを誤魔化せない。でも、強烈に公開したいということには至らず、むしろ公開することを強烈に躊躇うものだ。そのため、種別のように形容するに留めると、いずれも告白であり、一つは好意を抱いている人への思いの吐露ということになるだろう。それならば書けばいいという考えもあるが、別の場所で書き残したとおり、まず好意自体を疑うところから始めないとどうしようもない時間を過ごしてしまったし、それを踏まえずに吐露という直接的な書き方を取るのは、相手も自分も侮蔑する行為と思ったのだ。もう一つは、亡くしてしまった最愛の人達への謝罪だ。肉親のことだが、彼らの死は自分が存在したことによる殺人だと考えている。これは書き残すべきだが、相当な勇気の後、いざ公開すれば公開したで一気に楽になってしまうことが予想される。
 強烈に思うことが、本当に一番書きたいこととは限らない、昨日も今日もそう考えてみた。そして、言語化した別の考えによって、それらに遡行し、一番書きたいことが立ち現れるのではないか?と考えた。前述の二つを書くための環境作り、つまり、別の文章が必要になっていると思った。その文章は、いきなり書き終えることができるものとは限らないが、この場所から遡行していくしかないだろう。遡行は終わりがないように思えるが、これはどうしても、宇宙だとかウイルスや細菌レベルの大きさの物質にとっての体内だとかといったなんだかよく分からない広大な体系と比較してしまう。