Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

銭湯

 本当は昨日書くべきだったことをここに書き始める。それは、昨日22時頃に昨年末の同時刻頃にあったある出来事を思い出して、そのことについても書くべきだなと思った、とある銭湯のオーナーについてだった。昨日の食べ物の話とその銭湯の話を融合して考えを進めると何か新しい発見があるのではないか?と根拠はないまま考えるも、そのしんどさを前に考えを殆ど進めることなく、終わったのだった。こうした一点一葉というか一つの素材を元に、それに対するコメントのような文章を並べてその日の公開を終えるということが続いている。ワンテーマというのとは違うと思う。あくまで一素材で、それをこねくり回しただけのような気がしてくる。結果として一素材ということはあっても、最初から素材を増やすことを逃れているのは、怠惰ということに尽きる。銭湯といえば、自分の生活態度がぬるま湯になっているのかもしれない。そのわりに書くことはカラスの行水未満とあっては、意図してできるものでないとしても、このぬるま湯から上がることにする。
 逆説的にいえば、断酒はぬるま湯に浸かる姿勢を根本的には解決しないということかもしれないと思った。ようやくだが、断酒を始めて今日でちょうど二週間となった。いつもながらに体調や気分を心地良い状態に戻してくれており、これから先も好循環といった結果をもたらすのがこれまでの結果からも容易に予想される。昨夜、思わず広島で買った日本酒をあおろうかと考えた瞬間があったが、白湯を飲んだら収まっていた。祖母が昔よく「白湯をお飲み」と言っていたのを歳を取ってようやく守るようになったかのように、ここ数年白湯を飲むことが増えている。それにしても、減らないことといえば、一過性の誘惑というか落とし穴なら、簡単に部屋の中に出現しているということだ。そういう一過性の瞬間的な態度が集積すると、とんでもなく長いぬるま湯に浸かった時間、長風呂もまた出現するのは想像に難くないが、少なくともこの半月あまりは、むしろストイックに過ごしていた。それなのにと思い、すぐに、結局、頭の中での行動がぬるま湯に浸かったままなのだと認めることになる。「頭の中での行動」。今、この言葉を瞬間的に思い浮かべてすぐ、キーボードでそのまま入力したのだが、ありきたりの表現でありながら、今の自分には強いリアリティを持って響いてくる。頭の中の行動履歴が見え隠れしているのが、この場所ではあるのだろうけど、基本的には、普段は見えにくいのがあまたの中の行動なのだろうから、実直で質素な生活を続けているとそれだけで自分がまともであるかのような気になってしまうのかもしれない。でもそんなことは最初から分かっていたという意味で、ここまでは下書きとしてなら文字として書き落とすことはあっても、わざわざ公開するなというつまらない話でもある。
  まだぬるま湯から上がっていないように思える。熱い湯を注ぎ込めばいいというわけでもないだろう。安易である以上、ぬるま湯でしかないからだ。それならまだ、自分が発熱するようなことをした方がいい。そうなると、単純に動き回るということでもなく、やっぱりしんどいことを考えるということかな?となる。せっかく昨日思い浮かんだので、その銭湯のことを続けてみる。それは、その銭湯に初めて行った日のことだった。歴史的な建造物として指定されているというその銭湯は、その周囲の場所も含めて、町屋というか、触れては勿体ないくらい、幼少の頃当たり前に通り過ぎていた生活環境の光景として現れた。現役で使われているということがすぐに分かったので、勿体ないと思ったのだ。そんな余計な心配をしながら自転車に鍵を掛けていると、後でオーナーであろうと分かるちょっと強面のおじさんが「うちはサウナはないけどいい?」と言ってきた。「はい」とすぐに返答しながら、このやりとりって変だなと思いながら、悪い気がしていないことに気付いた。続けて「今(夜の)10時だから、まだたっぷり時間はあるね!」と私に言ってきた。何と返答したのかは忘れたが、ここでも悪い気はしていなかった。
 要は聞いてもいないことを先に答えたり質問してくる、それだけのことでもあり、多くの場合、そういう行為は忌み嫌われるはずであるが、自分の中でそうならないことが面白かったのだろう。聞いてもいないこと云々というより、「あのおじさんは、色々規定してくるんだな」と思って、帰宅後にやにやしていた。今、冒頭からの続きでこのおじさんについて書いていて、こうも思う。それは、おじさんは色々規定してくるわりに、おじさんが口にしていることは、おじさんが発話前に頭の中で下書きとして処理すればいいことも多そうだから、「規定=完成した文章」=「下書き」の関係となっているのが可笑しいということだ。こういう場合、このおじさんが入っている湯はどういう湯なのだろう?とも思う。ずっと番台に座っているわけではなく、うろちょろしていたからこそ、私に話し掛けてくれたし、その後、私が暖簾をくぐったら、誰も番台がおらず困ること5分あまり、その後戻ってきて、「悪いね、一人でやってるんだわ」と真顔で答えて番台に戻っていったこのおじさんの魅力をもっと、湯の成分分析以上にやらないとと思った。また、近々行こうと思う。