Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

鼻歌

 目の前で見聞きしているものではなく、頭の中に浮かんでいるものを書く、なるべくしんどい方を選んで考えると決めて、わずかまだ二週間ほどだが何とか書いてきた。うまく行っているとは言いにくいが、全然だめとは思わない。この二週間あまりの中で、当初から文字としては浮かんでいなかったが最初から潜在下では決めていたようなことを、新たにルールとして明文化しておこうと思った。それは、毎日書き公開するが、書き置き、つまり作り置きはいきなり使わないということだ。後者は別の場所で既に書いていたことをより厳格に言い換えたものではある。
 このようなルールを守るためには、当然ながら、もとい、私の場合には、酩酊していようがいまいが、飲酒をしてアルコールが残っている状態では覚束ないことになる。これまでもそうだが、飲んでアルコールが残った状態で書いたことは一度もなかった。分かっている自分もいるということだろう。これを例にとっても、自分を全否定する必要はないと思った。これも潜在下では分かってたことだろうが、全否定よりも厳しい選択肢があるのだから、全否定は苦しみを逃れるための安直な回避策だと思った。
 さて、今日は何が書くものとして登場したか?だ。いざ頭の中に浮かんでいるものを書こうとしても、待てと止めることが続いた。それは、目の前でだったり少し前だったりと時間の多少の違いこそあれ、自分が見聞きしたものに依拠して頭の中に浮かんだものばかりだったからだ。一方で、逆に自分が見聞きしたものに依拠していないで浮かぶものってあるのか?と突っ込む自分も現れる。行き止まりのような状態に来たなと思って、仕事に戻るとすぐに忘れ、再び帰宅途中で思い出すことになった。ショッピングモールに寄った帰り道、今こういう寒い季節だからと頭で考えたわけではなかったのだが、見事に今の季節にも合った「そんな馬鹿な 誰が汚した」というフレーズの雪が登場する歌を何気なく口ずさんでいた。「その時僕は見たんだ もっと響く何かを」というフレーズはその時口にしていなかったが、その時はっと思うことならあった。それは、こうした自分の鼻歌のように、自分の中から何気なく沸いてくる歌詞やメロディーには依拠してもいいのではないか?ということだった。どこからを始点とするのか?という話でもあるだろう。自分の歌であれば、目の前の風景や聞こえてくる音よりも始点と思いたいのだろう。目の前の風景だろうが何だろうが、自分がそれに対して意識を向け取り上げている、そうであれば鼻歌と同列ではないか?という考えも浮かんだ。それでも、鼻歌の方が始点に思えたのは何故だろう?
 ここで、それはおそらく~と文字にすることができればいいし、そうなるまで考えるべきだが、上り坂の途中にいるしんどさを覚える一方で、いったん距離を置いて、つまりキーボードから離れて、再びこの問いを思い浮かべてみようと言ってくる自分がいた。甘やかすことにならないよう、再び考えることにする。