Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

コミュニケーション・ブレイクダウン

 無益、無駄で時間を消耗したと強く感じることに、パスワードの設定や管理がある。根拠はないが、これらに費やす時間に比例して浪費や散財といった損出につながる支出も増え、痛手を被ることになる気がして数年が経つ。それなら、さっと設定して、ぱっと確認や再設定ができる状態を用意すれば良いという話だろうが、どうも重い腰はそのままに、年に数回は何らかのパスワードを忘れたことに気付いてだったり、常駐のセキュリティソフトのアラートで変更を促されたりで再設定し、ほっと一安心、でも疲れたな、という一連の動作を繰り返している。本日も久しぶりに、そういうことが発生した。
 もちろん、スマホ連動型のSMS認証や指紋認証を併用したログインもあり、以前と比べれば、楽になった面もある。しかし、パスワードという考え方自体を嫌いになりそうなくらい、パスワード含む認証全般に抵抗が残っているのも確かだ。一生のうち、これらに費やした時間を可視化されたら、想像以上に悲しみだったり怒りだったりを帯びた表情になるに違いない。何に対して、何を隠そうとしたり、何を守ろうとしているのか、ちょっとばかばかしくもある。また、一方で、幼少時の地域社会のように、戸を開けっ放しの環境と対比して、なんでこんなことになっているのか?と人間の変化に対して疑問を呈したい気持ちも湧いてくる。真昼でも夕方でもない午後、少し弱った日差しを浴びながら畑仕事で疲れた祖母が畳の上で猫のような満足げな表情を浮かべて、仰向けでもうつ伏せでもなく身体を横に向けて眠っていた光景は忘れられない。
 話が脱線したが、パスワードといえば、正しいパスワードを入力しているはずなのにログインできないことを稀に経験している。こんな時の疲労度は半端じゃなく、思い出すだけでも疲れるくらいだ。人に言わせれば、「いや、絶対にそれは正しいパスワードではなく、間違いだからログインできないんだ」となるが、本人がそう思わないのだから、その疲れが発生するのをどうしようもできない。さらに困ったことに、パスワードに限らず、こういう強力な壁となる符号化の類は、ありとあらゆるところにある。そもそも、AIが受け付けるというチャットボットの類だってそうだ。ヤマト運輸の「音声受付サービス」だってそうだ。後者を利用中、電話に向かってぼそぼそと話すわけだが、「その他何か」の類の、いわゆるフリーアンサー的な回答を口にしたら、「聞き取れなかった」だったか「もう一度」だったか、ともかくログインできないのと同質の壁が現れたことがあった。コミュニケーション・ブレイクダウンというのは、かっこいいロックの名曲だが、次回この類のことを前にしたら、その第一声を口にしようかと思った。ログインやAIへの入力とそこからの出力もまた、コミュニケーションだとしたら、それは、擬人的な意味ではなく、今眼前にはいなくても、また特定の一人の個人ということではなくても、集合意識的な意味でも、これまでの人間の放った問いに対して、回答していると捉えることができる。それなのに、的を得た回答が得られなかったり、ログインできなかったりすることに、そんなに間違った質問や回答をしているつもりはないのだが、と思いもする。