Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

記名

 めったには買わないが、ほぼ毎日使っており、なくなれば買うものの一つに、消しゴムがある。二週間ほど前の夜、書店に寄った際、現在使用中のものがあるが、自宅用に購入しようと真新しい消しゴムを購入した。真新しくない消しゴムが売っていたら、それはそれで面白いなと今思ったが、その時は、しばらく文房具売り場の消しゴムコーナーを訪れない間に、定番とは別に見たこともない商品が並んでいたりして、新鮮な気分を覚えていた。そして、これまで使ったことのない自分にとっての新商品を購入し帰宅した。
 ところがである。帰宅後、情けないことにトートバッグの中からその消しゴムを取り出したことすら覚えておらず、そのまま忘れて今日に至ってしまった。家探しレベルでまだ探し終えたわけではないが、どこに行ったやらで見当も付かない有様だ。それなのに、「消しゴムだけに消えるのか?」などと、この文章を書き始める前に思うことならあったのが、二重に情けない。
 幼少の頃には、持ち物に名前を書くということが、少なからずあった。何歳からそういうことをしなくなったのかもまた、見当も付かないことだ。見えなくても、記名しないと物には失礼だという考えが浮かんだ。記名したら、確実に丁寧に扱うようになるということでもないし、ぞんざいに扱っていいということでももちろんないが、責任を確認する時間にはなる気がする。車の運転でいえば、無意識にできるようになるべき安全確認の諸動作にも似ているように思う。消しゴムは消えたのではなく、私がなくしたのだが、記憶からなくさないよう、消えないよう、記録しておく。そして、こうした文章もまた、記名する行為なのだと今頃気付くことになる。
 もっとも、記名にもいろいろなレベルがあると思う。同じく幼少の頃、生家で当たり前に見掛けることができた祖父の手による鍬や籠、鋸といった道具類には、どうやって消えないようにしたのか、これまた見当も付かないが、祖父の見事な墨字で和暦の年月日が入っていた。名前ではないが、これも記名だ。消しゴムに謝る場として始めたが、その文字群を思い出し嬉しい気持ちになった。ごめんなさい。ありがとう。