Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

さまざま

 一日の大半の時間を、仕事が占めるようになってきている。これは、「だからいいだろう」という前振りのようなものだが、これまでどこか仕事については書いてこない傾向があった。それ程の割合を占めている時間だから、新たな視点を導入して、掘り起こすものでもないと勿体ない気がしてくる。
 とはいえ、今日はそういうふうにはっきり考えて、仕事について書こうとしているのではない。今日、これまで年1,2回あるかないかだが、累計では二桁あるかもしれない経験則を、補完するような出来事があったのだ。それは、非常に曖昧でもある、つまり、ビジネスでは通常はアウトな物言いのはずだが、相手に受け入れられることが多いもので、「さまざまです」という回答のことだ。例えば、次のようなやり取りにそれは登場する。

打合せ先のお客様「この場合、どちらの選択肢の方が、選ばれる傾向にあるのでしょうか?」
私「それは、どちらともいえず、さまざまです」
同お客様「ああ、そうなんですねー。じゃあ、弊社はどうするべきか、一緒に考えていければと思います」

 これは、最近の打ち合わせ時のもので、これから私の会社で用意しようとする成果物に対する質問、回答、それに対する反応のやり取りの一部だ。文字には十分表れてはいないが、はっきり腑に落ちた感じの反応を得ている。そして、こういう反応を得る度、どこか「面倒な考え事をやり過ごすことができた」とほっとするビジネスライクな自分と、それとは対照的に、つまらなさを覚えている自分が同居することになる。
 でも、この場合つまらないのは、私自身の視点の方だろうと思い直した。その場で、いずれかの選択肢を選んでもらうというのは、くれくれという依存状態そのものともいえる。また、その場は「さまざま」というニュートラルな状態のままで通過し、次の設問でどちらに曲がるかを両者で見出したのでもいいわけで、これなら安全に走行を続けているというものだ。経験則という言葉を、結構軽く使っているものだなと気付くことになった。