Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

うさぎ

 うさぎの顔を思い浮かべてはやめ、思い浮かべてはやめを何回か繰り返していたら、うさぎの額という言葉が浮かんで立ち止まった。額に猫が影響したのは間違いないが、そういえばうさぎの額を意識してこなかったなと気付いた。改めて考えて狭くも広くもなく、小さいという印象を覚える。それは身体全体に覚える印象と同じだから、やっぱり額について捉えることはできていないようだ。

 うさぎについては、昨年11月にもある程度の時間を費やして考えることがあった。新千歳空港の書店で、たまたまエゾナキウサギのカレンダーというのが目に入ったのがきっかけだった。パラパラと何月かを眺め、すぐに辛くなった。うさぎの表情にやられたのだ。前から分かっていたことだが、真顔なのかどうかはしらないが、笑っているようには見えないその表情にまた、祖母の表情を見た気になった。結局、買わずに飛行機に乗ったが、自宅に着いてもう翌日には買っとけば良かったかな?と後悔の念も浮かんでいた。だが、ネットで検索するも郵便局への振込しかない決済手段の前に、やっぱりやめておこう、買うなら現地で買おうと理由を付け先延ばしにしていた。はっきり安堵していた。

 改めて、うさぎの表情、それはうさぎ全体ということになろうが、めちゃくちゃに可愛らしいと思う。そして、可愛らしいの中に、身体的な弱さを跳ねのける強さを見ていることに気付く。可愛らしいというのは、強いということでもある気がする。真っ直ぐに、物事の奥底を射抜くような視線をうさぎも祖母も投げ掛けてくるようで、そんなうさぎ達を追うどころか、逃げていたなと、過去の様々な場面を断片的に次々と思い出す。目を逸らしたのは合さなかったのとは違う。うさぎの強さに甘えていたのだ。脱兎がいるとしたら自分の方だった。

 一年の始まりに、振り返りがあるのは、悪い気はしない。しんどいことだが、そういう振り返りを通り抜けるしかない。人間の描く、他人に見られることを前提にしたイラストやマンガの動物たちの多くは笑顔であることが多いと思う。一方、自分の頭の中に浮かぶ動物たちの表情は笑顔であることは少ない気がする。今意識に上っていること同士が次々と結び付いていく。自分で関連付けを行っているからだ。そして、意味を見出し掛けた気になってくる。都合の良い場合も多いだろう。振り返りを通り抜けながらも、こうした都合を通り抜けることを続ければ、良い一年の入り口には至るのではないかと思う。