Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

存在していないことの実感

 今、この世界自体が元々存在していない。――想像できるか?と自問し、存外想像できた気になる。そういう実感を覚える。今日再びこの感覚が浮かんできて、これについて書くべきと思った。後から考えれば、想像しにくそうなものなのにとも思う。何故想像できたのか?昨日の、鼻歌が何故信頼できるか?もそうだが、連日正しい答えを挙げにくい問いばかりが浮かぶ。これらについて、正しい答えを導かないと絶対にまずいなどと考え続ければ、もっと苦しくなるのだろうが、そうなると無理矢理な考えをねつ造し、何より自分を騙しそうなので、今感じている苦しさ程度で考えてみようと思う。これでも、十分にしんどくはある。
 答えの一つだが、まず、そう感じるように遺伝子レベル的に、要は自力の及ばないところで組み込まれている感覚があるのではないかと思った。そうなると、本能的なものというのは、実は結構あるということか。何やら、本能は数少ないと、文字としてこそ認識したことはおそらくないにせよ、そう思い込んでいたことが分かった。
 二つ目が、存在していないと思いたい自身の願望というものだ。これは可能性として浮かんだが、実感はまるで沸いてこない。今後、環境や経験でそんな風に願うことがあるのかもしれない。でも、そう思うようになるのは、どうも好きになれない。なるほど、世界には存在してもらわないといけないと思っているのが分かった。
 三つ目は、現在の体調や気分によるものを考えた。一つ目と似ているようだが、一つ目は生得的なのだからまるで違う。そして、今日はといえば、昨夜、前回のこの場所での記述を済ませてから酒を少し急ぐように飲み干した、若干二日酔いの一日だった。安ワインを5杯。そのおかげもあり、乗船中のようなノリが微かにせよ自分の身体に備わっていたと思う。そういう意味では軽快に一日を過ごしたといえる。気分も、それほど悪くはなかった。冗談も浮かんでいた。一方で悲しく思うこともあった。少し怒りを覚えることもあった。はたまた、にやにや笑うこともあったし、人と話しながら笑うこともあった。大体いつも通りで、気分は様々だったと言いたいが、一つの気分にまとめねばならないとしたら、いい気分と言っても間違いではなく70点くらいの正解にはしたくなる。気分が主要な要因となり、世界が存在していない実感をもたらすとは、体調と比べると思いにくい。体調が影響したのだとしたら、少なからずの気怠さはあったのだから、アルコールではないが揮発的に世界を無にリセットするような感覚が本能的に生じた、といった強引ともいうべき仮説は浮かんでくる。

 体調が実感に影響を及ぼす、こう書くと、当たり前だろうと突っ込みもする。でも、実感も体調の一形態だとしたら、体調が体調に影響を及ぼす、というわけで、体調の連鎖を見出した気になる。そして、机上の空論だろうが構わない、但し、絶対にどこかで必ず机上へと連鎖するくらいには運動をして体調を整えたいと思った。その上で、本当に空に昇るというか、そもそも存在していないということなら、よくぞここまで実感を覚えることができる時間を与えてくれた、ありがとうというものだ。