Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

思い込みという混ざりもの

 勝手な思い込みの一つについて、まとめるべきだと思った。それは、幻想としての総量規制といったものだ。時代を問わず人が異なれば、経験する喜怒哀楽は異なるだろう。いわゆる「人の数だけ○○がある」というやつだ。でも、どういうわけか幼少時から、「各人の経験する喜怒哀楽や痛みは最終的に公平になるように調整される」という思い込みがあった。それは、根拠はないが確信めいたものだった。いつその確信が希薄になったのか心当たりはないが、そんな調整は創造主だか人類の管理主だか、あるいは人類の集合無意識的な機能が実行してくれているようには思えないこともあってか、気付けば殆ど信じなくなっている。そもそもなんでこんな調整があると考えたのだろう?と自問して、突き詰めて考えないで済むように、予防線を張っていたのだと思った。悲しいことばっかりだと思って、そこから考え始めるという選択肢もあるが、その悲しいことを注視したくなかったのだと思った。そして、ついさっき、自分を取り巻く世界のつまみ食いという言葉が浮かんだ。「自分の周りは未知のことばかり」というのと、「つまみ食いばかりしているので、知らないことだらけのはず」というのでは、まるっきり違う。だからといって、試験勉強をするように一つ一つのカテゴリを土地を征服するかのごとく集中して調べ上げ頭に詰め込んで「確実に知識が増えている」というのもどうかと思う。続いて、「結果的に世界に関わりたい」という言葉が浮かんできた。とっくに誰かが言っていることなのだろうが、自分の中では新しい言葉で、悪い気はしなかった。
 何やら「世界」と使えば、自動的に「広大なスペース」を想起しがちだと思うが、この「世界」はそれこそ「猫の額」にだって当てはめることができる特定の条件を持った環境を指しているはずだ。何なら「会社」にだって置き換えることはできる。試しに、「結果的に会社に関わりたい」と言い換えると、なるほど、結構無頼を気取ったセリフだと思って少し笑ってしまった。しかし、決して間違っていないのは確かで、ありきたりな二項対立を持ち出すことになってしまうが、要するに理想と現実の共存をどの世界においても求めてしまうということではないか?
 翻って、この場所もまたその「世界」の一つだ。頭の中にある考えを、直近の理想と見做してそれを取り出そうとして考えを進め文字に変換して、うまく表現しきれない現実にもだえ苦しむ、なるほど例に漏れず見事に当てはまっている。でも、ここでまた疑問が浮かぶ。その「うまく表現しきれない現実」も更に細分化して「理想:現実」に区分できるのではないか?と。つまり、現実に平行に対置するばかりではなく、その現実に内包されている「理想」があるのでは?と思ったのだ。「理想」の場合も同様だ。いずれも実体は純粋というより混ざりものであるように映る。その方がむしろ信用を覚えることに気付く。これとて思い込みかもしれないが、この思い込みというやつもまた、混ざりものであると考えればちょっと展開が変わってくるだろうと思った。明日は、混ざりもの同士を混ぜることもやって足掻いてみようと思う。