Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

あっ!2

 昨日の続きを書くのは、あまりに短絡的だと思ったが、そうなった。日曜日で休みなのをいいことにアルコールの残る時間に起きず、久しぶりに15時前に元気いっぱいで目覚めた。危機感や切迫感の無さということか、捻り出さない限り、出てこない残りわずかのマヨネーズの容器のような状態の頭で今もいるのか、この起き抜けのことを、尾崎豊の歌に引っ掛けて「15の昼」だな、と思い浮かべはするも、何か絶対に書かねばということから目を逸らしているのが分かる。絶対に書かねばいけないことは絶対にあるのだ。それをないと言うのは、目を逸らしているだけだと思う。では目を向けろよ、となるが、今のところそれはいつでも、感謝と謝罪と希求と逃避を伴っている。光の三原色RGBによる光というより、CMYKが目一杯混ざり合い黒になる気がして嫌になってしまう。こう書くと黒に悪いし、黒から光に至ればいいではないかと思うのだが。そういう袋小路を逃れるように、先延ばしをして、かくして、なるべく決定的な色を伴わない記述を選ぶことになる。
 パリ北駅では、ユーロスターの事務所に向かった。細部は省略するが、パスポートや現金と共にロンドンへの切符も盗まれたことを含むことの顛末を片言の英語で告げると、この事務所では、マニュアルにあるであろう対応範囲の、その範囲を拡げてくれて、ありとあらゆる見て見ぬふりをしてくれた。ネット、PCの開放はキーボードが日本のと大きく異なり大変困りはしたがFacebookメッセンジャーでの友人への連絡や会社への全ローマ字でのwebメールを送ることにつながったし、電話の提供はカード会社や大使館への連絡を可能にしてくれた。カードは即停止できた。大使館の人を悪く言うわけでは全くないが、「何とか生きて下さい」という日本人男性の声はまだ少なからず今でも再生できる。
 そうこうしているうちに、とはいえ、この事務所も23時を目処に閉められるとのことだった。それは、否応なく私が23時以降は外を彷徨うことを意味していた。もう3時間くらいは経過していて、21時を過ぎていたと思う。その時、事務所のスタッフの女性が、興奮気味に笑顔で戻ってきた。日本人の女性と共に。続いて、その日本人の女性が「もう大丈夫ですよ!今、この人からだいたいの説明は聞きました。」と私に近付きながら声を掛けてくれた。「日本人の女性はいませんか?とこの方が探し回っているところに偶然私が通り掛かったんです。」
 恥ずかしいとはこのことだ。ここから先のことだ。私は大袈裟にがくっとドリフには悪いがコントで見るような倒れ方でカウンターに上半身を投げ出していた。さらに私は舞い上がっていた。友人を見送りにきたその帰りだというその女性からiPhoneの充電器を借り、Facebookメッセンジャーで日本の友人の一人を鳴らした。「今、日本は真夜中でしょう?」というその女性に「多分、今まだ起きている友達なんですよ」と告げていると、その友人が出てくれた。またまた細部は端折るが、その友人はメディアで活動していることもあるとはいえ、なんとその女性はその友人のことを知っており、ファンでもあるというのだ。舞い上がっていた私は、さらに舞い上がり、舞い上がりすぎて増長していた。「ええーっ!?じゃあ、ちょっと電話代わりますか?」続きはまた明日以降とする。