Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

選択

 これまで書いたことが再び浮かんだ際、それについて改めて考えて書き進めればいいのに避けたい気持ちが強く起こるのは何故だろう? 今日は、まさに以前この場所にて書き残したことの一つが再び浮かんでいた。それは、人生における総量規制云々のことだが、その内容よりも、冒頭の疑問について書きたくなった。そして、その理由には、やっぱり、しんどさを逃れたい気持ちが多分にあると思った。言い換えれば、前回書いた時点で、壁には到達しているともいえる。その壁を今度こそは、避けられない度合いが高いのを分かっているのではないだろうか? だって、同じことをそのまま書くわけにはいかないから、多少なりとも考えを進めないと自分で自分のことだって嫌になるのは目に見えているし。そう考えてみた。
 この理屈だか屁理屈だかを流用すると、書くべきものが見えてくるような気もしてくる。というのは、過去に書いたもののタイトルを眺めて、その続きを書こうとする際、すらすらと続きが出てくるものよりも、そうでないものの方が、自分にとっての鉱脈があるような気がしたのだ。――前者は前者で素晴らしいではないか、すらすらなんて、言いたいことが増えたり、あるいは、認識が進んだのではないか?――そんな反論も浮かぶ。
 「選択したいことを選択する」と、「選択したくないことを選択する」の二択を見る。どちらが正しいわけでもない。どちらか一方だけが残ればいいとも思わない。でも、後者に何やら魅力を覚えていることに気付く。そして、後者を実際に選び続けると、後者のいくつかは前者に変わっている気もしてくる。その逆も然りか?と思って、「ああ、然りだ」と思った。これらには、変化のスピードの違いも見出すことができそうだ。今は、どちらの方が早いのか、想像ができなかったが。