Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

百点鞍点

 入浴中、今日は何を書くべきかと考えてすぐ、以前少し考えてそのままにしていたことが浮かんだ。パラレルワールドのような可能性についてだ。珍しくユーカリのエキスが入っているという入浴剤を混ぜながら、砂粒一つやこの入浴剤の粒の一つが、1㎜だけ現在ある位置から異なる位置にある以外は、全く現世界と同じという世界、これをA1とすると、例えば、A1に新たな要素として、外の風音が実際よりも半オクターブだけ高いという条件が加わった世界をB1とすることだってできる。もう、A1やB1以前にほんのちょっと考えただけで、無限も無限なパターンがあるのは自明なわけで、長湯でのぼせる前に目眩を覚えそうになる。そして、こういうパターン毎に一つ一つ異なる世界があるというのは、どうも嘘くさく思えてくる。どんなに無限でコンピューターや計算装置が爆発しそうな情報量があろうと、考え方自体が馬鹿正直というか真っ当というか、上っ面だけを捉えているという意味で単純過ぎると思ったのだ。また、全くもって根拠はないが、もしそういう世界の構成が成り立つとしたら、世界は耐えきれなくなって消滅する気もした。
 20分程の入浴だったので、決して長湯ではないだろうが、カラスの行水というわけでもないだろう。ニュートラルな入浴というものかと今思いながら、ニュートラルや中立というのは、必ずしも折衷や平均値や真ん中にある状態を意味していないのではないか?と思った。風呂から上がる直前には、入れ子構造というか、条件Aと条件Bといった異なる条件同士が互いを自らの内部に取り込んでおり、そのため、その取り込まれた条件は、A,B以外の別の条件には巻き込まれない、あるいはバリエーション展開の対象とはならない、といったこともあるのではないか?といった想像も浮かんでいた。そして今、シンメトリーがどこか嘘くさいように、わずかにせよ、どちらかへの偏りを持ったものでもニュートラルや中立といえるのではないか?と無理矢理考えている。
 機械学習分野の用語で「鞍点」というのがある。「ある方向で見れば極大値だが別の方向で見れば極小値」という説明がなされている。この用語の図も浮かんできた。世界の可能性というのは、確かに無限だとしても、その無限も総当り的に全ての条件同士の組み合わせによるというものではなく、角度を変えれば、一部の条件が消失しているという構造もあるのではないか?と思った。でも、こういう消失といった「ない状態」も「ないということがないわけではない」というよりは「ない状態がある」ということで、あるに置き換わる方が自然に思えるから、やっぱり不均衡なものの方が自然なように思えてくる。以前ならここで、「だから、均衡を目指すという人為的な、人の営みが尊いはずだ」といったことを掲げているのだが、今は、それを肯定こそすれ否定するわけではないが、まだそこに留まりたくはないと思った。不均衡が一つ増え二つ増え互いに集まっていくと、均衡な方向に向かうというイメージを思い浮かべる。一つ一つは優等生的なものではないが、全体としては素晴らしい集まりだとしたら、百点満点ならぬ百点鞍点だなと思った。