Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

高山

 仮に動画を次々とアップするとしたら、アップすればするほど伝えたいことが伝わらないと思って嫌になるに違いない。そんな魅力的な高山の通りを歩いて自室に戻った。着いた瞬間、スマホのマナーモードを解き、GoogleMapsで宿泊先に到着し、自室に案内され、その後PCがスリープ状態から立ち上がらないのに小一時間程焦り、起動したのにほっとした後、出掛けた。なんとはなしに脆い存在だと書こうとして行動を並べてみたが、意図せず脆くしているのは他ならぬ自分自身だということが浮き彫りになった。直接動画として捉えて公開せずとも、文字の連続で、同じように浮き彫りに出来ることは溢れているはずだとしたら、それは、動画では無理なのか?それとも動画でも可能なのか?という問いも浮かんできた。それなら逆も然りか。どうしても、自分の場合に限っては、自分が映像を撮ることは文章化するのに比べると、即物的な行為なのだと思っているのかもしれない。いずれにしても、意図したことが叶った上で、意図しなかったけれど、意図したいことだというものなら、もっと溢れかえって欲しいと思う。

 今日、意図したいことは何だろう? 冒頭にある通り、この街の魅力ではないか!と突っ込む自分が現れる。分かった、まずそれを叶えようじゃないか。いくつか浮かんでくる言葉を選んで並べてみる。レトロだが元気がある/観光客で溢れてても観光に依存していない感じがある/木や神社が多い/大通りで交通量もある程度あるのに信号がない場所がある。でも危険には思わない/夜でもどことなく朝を感じる――等々。ここから浮かぶことを抽出してみると、どうやら、地域コミュニティーはしっかり脈々と連綿とあって、そこに外部からの流入出も沢山あって、でも、うまく混ざり合っているように見える、その風通しの良さが朝っぽいというか清潔というか気持ちがいい、こんなことを感じている気がする。

 今回、出発時間と到着時間を天秤に掛けて残った交通手段の中で、高速バスを選んだ。途中、外国人の中年女性が大荷物で乗車してきたが、それを彼女を隣席に迎えることになる高年男性が、頭上の荷物スペースに少々苦労しながらも何とか収納していた。それから小一時間程で皆目的地の高山で降車することになったが、男性は再び荷物を今度は前回よりも楽に取り出し、彼女に渡していた。それを、彼女はさらっと爽やかにひと言「サンキュー」と語尾を上げて口にして降りていった。男性は何も言わず、自分が降りる支度を始めていた。その光景を今思い出した。バスの中にも高山が浸食していたのだと、妄想だろうが言いたくなる流入出だった。街は自ら乗車はしてくれないが、街を人が乗車させることはできるということか。