Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

 冬の晴れた昼間で辺りには殆ど人がいないという状態に、心地良さを覚える。こういう感覚がずっと何年も続いている。思わず、こういう感覚は季節でいうと何になるのか? と考え掛けたが、やめた。四季という分類では曖昧だと思ったのと、季節に喩える時点で、移り変わっていくことを前提にしていると思ったからだろう。幼少の頃に亡くした祖父の法要で帰省し、そんな昼間を過ごしていた。今日もまた、そういう直接的な外部情報を元に始めることにする。この時点でここから1,000文字くらい続きを書き終えており、しんどさを覚える壁にぶち当たり、一旦中断しているからだ。お墓の掃除から戻って、再びこの地点まで読み返している。
 昼間は晴れ間もあったものの外気は、心地良さが抑圧され激減するような寒気に満ち溢れている。 冬でも比較的温暖な日が多いこの地域では、珍しい部類に入る一日だ。部屋の空気を入れ替えているだけで、心を入れ替えろとでも言わんばかりの鋭利な風が現れる。思わず、そんなことは言われて入れ替えるものではないぞと言い返したくもなるが、こうした氷点下のような気温の前に簡単に吹き飛ばされてしまう自分の感覚に、一定の数値の範囲内で成り立つ感覚ばかりを抱えて今まで過ごしてきたのだなと思う。だから、そうした感覚を守り育むためにも、一家屋だけでなく屋外、地域、こそばゆくもあるが社会全体がエアコンになる必要がある、といった分かりやすい一文も浮かんでくる。とっくにそんなことは問題にされており、社会全体を何とか居心地を良いものにできないかと取り組まれているが。
 空気は暖かい方から冷たい方へ流れるという科学的な事実は、おそらく幼少の頃から知っている。三歳になる前までだったからか祖父といた時間のことは全く思い出せないままだが、伝聞から出来上がっているイメージは、生家の中の空気は、季節を問わず外に流れているというものだ。夏でもそうだと暑苦しそうだが、補足すると、空気を送り出すエアコンの図面も一緒に外に流れているイメージとなる。こんなイメージの背景には、他人に道徳を押し付けるのではなく、他人の中にあるそれらが時々目減りしていたら、その人自身で補修するきっかけとなっていたのが祖父であり祖母だったという確信があるだろう。一言でいうと、周囲に無理強いせず、良い影響を与えるだけではなく良い影響を与える人を増やす存在だったのだと思う。
 手先が器用というか万能だった祖父は、職業的には剪定の職人として、木にラジオを引っ掛け時々大好きな煙草を呑みながら地域の庭という庭を整えて、盆正月も休んだかどうか疑わしいくらいだったと聞く。雨風で作業ができない時には、金物や鍬や鋤といった道具を製作していた。また、達筆というか、まだ見たことがないのが恐ろしく間抜けだが、地域の神社にも祖父の書が残されているようで、これだけでも、外に対して何か工夫を残そうとするのが、自分の義務と思っていたのだろうと察する。理性的にそう考えて実行したのかどうかもまた確かめようがないことだが、おそらくいちいち考えてはいなさそうに思える。いちいちだと悪い印象へのバイアスがあると思うので、都度にして言い換えてみると、都度頭の中に浮かべて確認してからというのは、何も悪いことではない。でも、それでは、実行量が圧倒的に少なくなるのだろうと祖父の仕事量を想像して思った。病で倒れる直前まで手仕事をしていた。手仕事というのも、自分が使うと随分軽い上辺の言葉に映る。この文を冒頭の辺りで中断し訪れたお墓では、線香に火を点けたと同時に雹が降り始めた。その光景に、何らかの意味があると感じたのは別に正しいわけでも間違っているわけでもないだろう。その後に浮かぶイメージやそれを具現化しようとする言葉が問題なんだと思う。すぐに、雹を私に対する叱責だと受け取っていた。そうだとしても、どういう叱責か?今日の時点ではそれを、イメージと言葉を雹のように増やしてみろという叱責だということにしておく。