Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

趣味としての断酒

 断酒は結局二十日でいったん終了した。「二十日鼠と人間」というタイトルが浮かぶ。奇しくも、昨日は二・二六事件の日でもあったなと思う。一昨日昨日と続けて吞んだ。昨日は断酒アプリでアラートが表示されるような量、350mlの缶ビールを3缶と日本酒を1合で、文字にすると大したことではないようだが、しっかり今日は日がな身体に残り続け、頭痛や集中し切っていない実感を覚えていた。今も本調子ではない感じがある。アルコールに管理されている気もしてくるから、二十日鼠や二・二六の文字が浮かんだのかもしれない。
 管理というと体制という言葉も容易く連想するが、疑うこと自体が抵抗の入り口にあることだとすると、体制を疑う人は多いのに、その体制が管理のために放って流通させているともいえるもの、酒類に身を任せているというのも、ちょっとむかつく話ではある。「趣味は断酒です」と冗談っぽく口にすることがあったが、それは自分を含めた多くの人間の弱さをおちょくりたい気持ちがあるのだろう。断酒を趣味とするためには、断酒がずっと続くのでは成り立たず、ひと月なり一年なり続けても、いずれは禁を破る必要があるからだ。
 そういえば、と思い出す。数年前、「こうした断酒もあと何回実行できるのだろう?」と考えたことがあった。その時はたしか8カ月あまり断酒が継続していた。漲る活力、こう書くとむしろ実に加齢した感じが醸し出されるが、この文字の通り、この断酒の間はずっと、明らかに心身共に好調な状態が続いていた。熟睡できるわ目覚めはいいわで、ネットで見付けることができる断酒の効用というのはかくも当たっているものだなと一人納得していた。
 それほど良いことづくめなのに、断酒自体に依存できるようにならないのが、不思議である。もっとも、不思議と浮かぶ前に「歯痒い」「悔しい」「苛立つ」といった焦燥感ある言葉が浮かばないのだから、どこか酒にまだ接していたい、対岸にせよ、時々酒のある場所へと橋を渡ることができる状態に自分の身を置いておきたい気持ちがあるのだろう。実際、完全に断つことは今はまだ考えていない。その代わりに、かつて呑んだ特定の場面を次々と思い出している。フランクフルト中央駅で、周囲への恐怖から逃れるようにセガフレードに駆け込み飲んだベックス。異常な美味さだった。あるいは、十年くらい前にはよく飲んでいたが、その後、店舗で見掛けなくなったバス。ペールエールというのを初めて意識したビールだった。最近だと、呉の立ち飲み酒場で呑んだ呉の日本酒。引っ越そうと考える人がいてもおかしくない雰囲気の中ということもあってか見事な美味さだった。こうした例は枚挙に暇がない。後は文字数が増えるばかりだ。断酒のプロというのがあるとしたら、それは数年単位の断酒が伴わないと難しい気がするので、当分、趣味人のままということになりそうだ。かくして、本日から再び断酒を始める。