Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

さようなら

 投票締め切りまで後1時間半というところで、チェーンの喫茶店に入り、おもむろに選挙公報で立候補者達のメッセージとプロフィールを眺める。これを見るのも初めてなら、並ぶのも初めて見る顔ぶればかりだ。慌てて把握しようと試みていることに、何だか期末テストみたいだなと思った。
 投票所は、古くからこの場所にある小学校を借りて設けられている。もう数回、その投票所には通った。これからまた赴くわけだが、建設当時とはまるで変わってしまった時代の風雨のようなものに、無防備な姿を晒しているようで、こうした古い建物のことの方が既に気になっている。風雨のようなものとは、当然ながら風雨ではない。では何か? それは、人の気持ちだと思った。根拠はない。でも、人の心も物質的な側面を持っていることが今後明確になってもおかしくないと考えたので、それほど非科学的なものでもないと思った。続けるなら、そういう人の心が建物を良くも悪くもする、あるいは、建物の劣化を遅くも早くもする、そういうイメージを抱いた。
 ここまでが投票前に浮かんだことだった。既に投票を終え、これを書いている。投票所で気になることがあった。前回は多分そうではなかった気がする。何かというと、自転車を押して小学校に入るとすぐ、「こんばんは」と言われた。入り口に立ったままの投票所の担当者らしき男性からだった。じっと私を見ている視線を感じながら、なんだか焦って自転車を施錠していた。入り口を通過し、投票用紙に交換する通知書を担当の女性に差し出すと、「ありがとうございます」と共に投票用紙を受け取った。「ん?」と思いながら室内に入り、記述を済ませると再び別の担当者から「ありがとうございました」と言われた。「なんで?」と思いながら入り口を出て、再び最初の男性のそばを通り掛けるとすぐ「ありがとうございました」と横腹あたりに声が飛んできた。2、3m行かないうちに気付くと「ありがとうって言われるのおかしいんだけどな」と口にしていた。50%以上の確度で、おそらくその男性の耳に入っていると思う。
 帰宅中、こういう場合には「ありがとう」の類より、「さようなら」がもっと聞きたいと思った。そして、一種のロマンティシズムのようなものに一人酔っているのかもしれないが、今回の小学校の建物のように、半世紀以上前からある建物は、「さようなら」も「ありがとう」も沢山聞いてきたんだと思った。中には、建物自身に直接放たれた「さようなら」や「ありがとう」もあるかもしれない。否、それなら沢山あるはずだ。いずれも、建物にとっては良い効果を与えた気がするが、そうでなくても、それほど建物には悪影響を及ぼすものではなかっただろうと思う。人の場合には、もっと言葉が限定されるということか。