Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

出国

 結果的に無事帰国できた。殆ど同じ時間だとしても、帰りは行きよりも随分短く感じられた。慣れというものか。慣れにより、危険を回避できるということか。慣れた頃が余計に危ないとはいうが、慣れることを否定するものではない。要は、慣れに一方的に身を任せるな、どこか慣れない部分を残しておく必要があるということだと解釈することにした。旅自体が、完全食ではないが、心掛けと準備次第で、そういう慣れ+不慣れの状態を自然に発生させると思うからだ。
 今回記録しておきたいのは、こういう当たり前のことをもっと口にすべきと思ったことだ。当たり前として未開封だった言葉が、経験を通じた認識を得て、実体化するのだと思う。さっそく、また別のそういう当たり前の類を挙げるなら、危ないだとか危険とかは、今回のような旅の場合、ほぼ人間に起因することを前提にしているということだ。交通事故も人間に起因するだろうから、もっと人間味を極力減らしたものとしては、自然災害が挙げられるだろう。もちろん、これとて一部だ。人間が手を加えていることで起こる自然災害もある。それでも、危険を紐解くと何と人間がその大部分を占めていることか?と嫌な気持ちになる。同時に、「待てよ、それなら一気に減らすことができるかもしれないということでは?」とも思う。
 人間といえば、入国時よりも帰国時の方が印象に残っている。直近だからというだけではない。というのも、最後の国からいよいよ日本に向かうという時、出国審査が待っているが、その際、蔑視的な雰囲気が漂っていたり、なげやりな対応が展開されたり、あからさまに侮蔑的な笑い声が上がったりすることが決して少なくない。今回は、男女二人の係員が一つの審査室に入っており、その前に私が歩み出るという構図だったが、露骨に笑い声が上がっていた。私の担当は男性の方だったが、隣の女性はスマホを見ながら、男性の声に反応して笑い声を上げていた。笑った理由を別にここで解明しようとは思わないが、何故公職なのにここまであからさまな態度に表すことができるのか?という疑問は浮かんでいた。
 そして、いずれも仮説であり、仮に当たっていても単一ではなく複合的な理由だと思うが、①職業に起因する性格形成や性格の偏向・強化、②日本人が侮蔑されている、③私が馬鹿にされている、といった理由がぱっと浮かんできた。中でも①については、「次々と表面的に、一部分とはいえ、全く初対面の人間の属性を見ることができる」ことから、どこか人間をその他の日常生活時よりも軽く扱うようになっている、また「疑いを持たないとそもそも成り立たない業務」だから、その能力が先鋭化している(それゆえ、雑談しながらでも押さえるべきところはちゃんと押さえることができている)といったことを背景に思い浮かべ、どうもこれが主因ではないか?と思うに至った。
 ②も、おそらく、①を付帯した審査の中だったり、審査官がオンオフを問わず、外部情報から経験的に形成した日本人観がそうさせている気がして、否定することはできなかったものだ。③も、②と重複する部分は結構ありそうだが、日本人であること以上に、私の見てくれや対応で態度を変えていることも、これまた否定できない。
 とにかく、人がやらないといけない仕事という前提であるかのような、また、ステータスもそれなりにありそうな職種であり業務だろうが、現状が歪であると私が思うこともまた否定できない。払拭できない。こういう状況でこそ、とことん言い合うということをすべきなのかもしれない。後ろに列を成して続く方々の手前だったり、そもそも自分が時間のロスで出国しにくくなるのを恐れるあまり、今回もまた、こちらといえば、真剣な表情と笑顔を時々入れ替えながら、対応したのみだった。かくして、「アリガト(笑)」という超片言の日本語が私の左頬に当たる代わりに、今回も無事出国となった。