Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

旅の準備

 迷いながらも旅の準備を進めている中、今日も各種パスワードや予備のスマホのセッティングで半日が過ぎた。こうした作業は、搭乗手続きと似て、「本来なら発生しないでよさそうなものを」という思いを抱かずにはいられない。甘えているのだろうが、甘えさせてくれる部分が多少は必要なのが、社会ではないかとも言いたくなってくる。
 幼少時から小中学校に掛けて、父親がいつも大体、学校主催の旅行当日には不機嫌だったことを数十年ぶりくらいに思い出した。あれこれ気に掛けてくれていたのだろうと、これまでよりも正確に当時の状況を理解した気になった。こと私に限っても、どこか抜け落ちている気がするくらい、旅の準備となると大変で、事実、出発後に出発前に対応しとけばと後悔することも少なくないからだ。同じ血を引く、こう表現するとどこか逆輸入みたいで可笑しいが、父親も同じだったのではと思ったのだ。
 旅というのは、予期せぬことが当たり前だから旅なのだとして、予期せぬことの中でも起こってはいけないことを防止したり減らすのが、この準備作業だとしても、旅を旅らしくしない行為だとも言い換えられる。きちんと準備する方が非日常的というなら、それも悪くないと思って、準備に力を入れることにした。
 準備をしながら痛感するのは、言語や法体系の異なる地域で、スマホとネットが出来ない環境なら、確実に生命活動が影響を受け、死に至るくらいのダメージを受けるということだ。これには、社会的な死もそうだが、実際の死も同等に含まれるだろう。あっけないものだと思う。洋上を越えたと思ったら、砂上の楼閣か。「かくして客死」などという笑えない冗談が浮かんだ。
 こういうことを書き連ねていて、ようやく思うのは、旅先の計画がまるでないことだ。楽しみが明確にあるのなら、常にある死のことに捕らわれず、その楽しみに向かって、苦労を厭わずに準備を進めていると思うからだ。今回もまた、これまでと大同小異で、特別な楽しみというのはない。もちろん、曖昧模糊としながらも、出国することについてはそれ自体が楽しみではある。現地で誰か特定の人と会うという楽しみが既にあるのなら、例外的に、私を計画の作成という行為に至らしめるのだが。ともかく、人に迷惑をなるべく掛けないように努めようと思う。