Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

想像

 「人間が想像したことで実現できないものがあるだろうか?」―小学生ではなく中学生のころだと思うが、かつて本気でそう思った瞬間があった。どうしてこんなことを考えたのか?と久々に思い出すことになった。夕方、大型ショッピングモールで文具を買おうとレジ前の長い待ち時間を過ごしていると、ふと、ちょっとした店舗の汚れに触発されたのか、これまたかつて考えた「いくら自分や自分たちの部屋、街を綺麗にしても、地球規模で見たら、ゴミだらけだ。ということは、全く片付いていないのと同じじゃないか?清潔にしたふりをしているだけじゃないか?」が浮かび、それに対し、「ボタンを押すか何かするだけで、一瞬でなくてもいいので、とにかく自動的に地球規模で全エリアの汚れやゴミが片付く。そんなことを今想像してみるが、これはとても実現するとは思えないな」と自答したのがきっかけだった。
 想像しても実現できないと強く思うしかないことなら、容易く見付かる。大型ショッピングモールのエスカレーターを降りながら、「それなら、実現できないことを、なるべく多く挙げてみたら、そこから実現できることがあるのではないか?」と考えた。実現できないことを代替する方法が実現できるかもしれないし、そうでなくても、全く別の、実現できないことがあったからこそ、発想に繋がったという仕組みが生まれる気がした。
 実現できないことを挙げ連ねるというのは、気が滅入るような話ではあるが、始める前から思うのは、この場所と同じで、数百挙げ続けていても、思い浮かぶ速度や集中度がいつか失速する時が来るということだ。失速して消滅するということは意味していないが。今思い出したが、先程のレジで会計を済ませた直後に、こうも考えていた。「想像したことが全部実現できるとしたら、それは死の瞬間かもしれない。何故なら、金縛りにも似て、自分がそうだと思い込んだら、そう体感できそうだから」と。でも、この選択肢を挙げるのは、いい加減にしたい。そう言いながらも、死という言葉で得るものがあったのは幸いだった。生き返ってほしいと直接的に言葉にしたり頭に思い浮かべたりすることが、小学生や中学生や何なら20代の頃に比べて、いつの間にか少なくなっていることに今回気付くことになったからだ。文章は失速しようが、書き続けることにしよう。今さっき、少し加速した気がしたのだ。