Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

開閉店

 閉店まで残り30分程の大型スーパーに向かう途中、歩道橋の上で、初老の女性とすれ違った。ふと20年くらい前の記憶が蘇り、それは昼間だったが似ていると思った。その時は、夏の昼間だったがダイエーの近くで、少々日差しが強い中、初老の女性に「市役所はどこですか?」と尋ねられたのだった。こんな暑い中をなんで市役所は来させるのだろうと思いながら、道案内をしたような気がする。笑顔ではない、少々困惑気味の表情だった気がする。全てぼんやりとしている記憶だ。
 歩道橋を降りながら、道を尋ねられるも旅先だったから自分も分からず何ともばつが悪い感じで「僕も分からないんです。ごめんなさい」という場合もこれまで何度かあったことを思い出した。今気付いたが、相手の顔は先程の女性と違って、まるっきり思い出せない。何らかの共通項があるような気もするが、望まない範囲にまで脱線する気がするので飛ばすことにする。こういう場合、こちらは謝ることではないともいえるが、確かに、今でも悪いことをしたなという罪悪感が芽生える。
 入店し、買い物を終えたのは閉店5分前を切っていた。それまでは、ミニー・リパートンの「ラヴィン・ユー」が流れていた。どちらかというと、朝や昼間のイメージだが、真夜中に耳にするのも悪くないと思う違和感のなさだった。それが閉店15分前くらいから、「蛍の光」に変わった。以降、ずっと流れ続けるのはいつもの通りだった。レジを通り過ぎる頃、そのメロディーに合わせて鼻歌が混ざり始めた。姿は確認していなかったが、近くにいる若者が発していたようだ。悪くない、と思った。いつもこのメロディーが流れると、欲深さからか、「もう閉店か!」といった気持ちが無意識の内にも表れていたのだろうか、どこかつまらない、寂しい気持ちになっていた。面白くはなかった。それが、今日は全然違うのが分かった。帰宅後、「いつも、こうした鼻歌でのユニゾンがあれば、そういう気持ちも凌げるのか?」と自問仕掛けたが、すぐにそれも当たり前になり、何か別の条件がないとそういった感情を抑えることにはならないのだろう、と浮かんできた。新しいものを目にしたがる面があるのは、こういうことも関係しているのかと思った。すぐに閉店しやすい一方で、すぐに開店した気にもなるものだと思った。