Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

洗い物

 遅い時間に帰宅して、洗い物を済ませていると、ふと20年くらい前のいつもの帰宅時を思い出した。当時は、今から見ると何とも異常ではあるが、こうした洗い物の時間を設けることを選択肢にすら入れておらず、当たり前のように、安っぽい外食で食事を済ませて帰宅していた。こう書いてすぐ、「こういう行為自体が安っぽいだろう」と突っ込んでいた。とにかく当時は今と対照的なことが多く、「電車で居眠りをしている人ばかりだが、俺はしない」みたいな、今からしたら書くのも憚れるメールを友人に送ったりしていた。本来の自分からしたらとても無理しているわけで、今と同じ気持ちも当時あるはずだが、それを押し殺して自分はこうあるべきと考えて、負けず嫌いだったり、天邪鬼だったりする態度を取っていた。
 このような態度を、上昇志向と言うのは間違いではないが、心底上昇したいわけではなかったはずだから、中途半端という意味でままごとみたいなものだと言った方が正しい。ここで、「ままごと」は「飯事」と書くのを今変換によって思い出した。洗い物から書き始めて、こういう関連語のような変換が現れると、おっと思って、何か繋がりを見出せないかと考えてしまう。この場合、「飯事というのは、本来は、洗い物のような豊かでもある時間を形作るわけだから、決して今意味しているような『それっぽい手習いみたいなたわいもないこと』ではない」とでも言い表せるだろう。
 洗い物について書いていて、「意味があることばかりではつまらない、意味がないことも必要だ」と言った物言いを思い浮かべた。そして、今回は当てはまらないことに気付いた。十分意味があると思ったのだ。固定的な特定の意味に変換せずとも、何かその時々の思いや考えに生気を与えるといった点で、疲れていた意味を少し回復させるという点で意味があると思ったのだ。断酒8日目、ここでキッチンドリンカーという言葉を思い浮かべた自分に、キッチンで思索を書き記すという意味で、キッチンライターという言葉を返した。ペイパーバック・ライターの影響は隠せない。あのリフは耳にすると少し疲れから回復する。色々取り入れてばかりだ。洗い物をもっとしなければバランスが悪いと思った。