Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

つまみ食い

 決めた時間を待たずに食べ物に手を伸ばすことがある。待てずにと書くべきだった、いわゆるつまみ食いだ。今夜は帰宅後、ちょっとした片付けや洗い物をするにあたっての動機付けのように、翌日口にすればいいはずの「満月ポン」を開封し、次々と満月を半月や三日月以下の形にして食べていた。ひと言、だらしない。でも今日は、食べながらある考えが浮かんで、動機付けどころか片づけが後回しになった。それは、人類の大きな問題の中には、人類が一人残らず一斉に一日でもある共通の行為を止めたら、あっという間に解決できるものがあるのではないか?というもので、別に真新しいものでもない問いのことだ。ただ、共通の行為を何にするかで大きな違いは生じるはずで、今日は何故か「つまみ食いを止めたら、多数の人類共通の問題が実は解決する。それなのに、人類は気付かないまま数万年を過ごしている」といったナレーション調の妄想として浮かんでいた。
 正しい正しくないではなく、言いたいのは、あくまで「実行するのが容易いことの中には、実は深刻な問題の解決に繋がるものがある。でもそこに実行しない人という例外があってはいけない」ということだ。実際、つまみ食いは、例外なく全人類がそれをやめる一日があるなら、何か地球規模で良いことがありそうだなとは思うが。あるいは、悪いことがあるかもしれないが、それでも諦めがつきそうな気がしたことは記録しておきたい。どんどん細分化し、小宇宙のように分断し合う世界が広がりながらも、大昔なら別世界であったはずのお互い同士が、地球規模で影響を及ぼし合うことも増えているこの世界で。