Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

バス

 妙な感じと懐かしい感じとせつない感じが漂う。早めにバスに乗り込んだら閑散としていたが、4、5分して立て続けに他の乗客が現れた。幅広い年齢層と、おそらくは同じく幅広い職業等の属性。袖擦り合うも多少の縁が意味するところが実体を持って現れた感じで「同じバスなのも多少の縁」とでも言ってみた。

 明朝、目的地に到着するための最短手段が最安の手段というのもなんだか照れ臭いが、こうした村的というか昔の公民館の中のような空間もまた照れ臭い。そして、せつない。
 冒頭に妙な感じと挙げたのは、マスクの有無だ。政府の方針もあり、確かに外している人は複数人いるものの、まだまだ着用している人の方が多い。でも、こういう混在が当たり前であるかのように、違和感を直接露わにしている表情は見当たらないように映る。
 私はといえば、変わらずマスクを着用している。着用している側だから、この混在と平穏な雰囲気の共存が気になったのか?と思ったが、着用していなくても、政府の方針発表から間もない今の時期なら、「大丈夫かな?外しているけど、嫌がられないかな?」といった不安から違和感に繋がることは少なからずありそうだ。
 前提として、違和感は表情に表れるものと決め付けていたと思った。そう考えると、笑顔が悲しい理由もまた増えた気がする。バスに向かう前、仕事をしていたからとはいえ、大体ぎりぎりの時間に慌てて家を出ることになるが、今日はいつもよりは少し時間があった。入念に荷造りをしたつもりだったが、それでも、忘れ物をしていた。イヤホンだ。ちょっと残念なようで嬉しくもある。これだけでは意味不明だろうが、これはまたにしたい。それよりも、忘れ物だと気付かない忘れ物を思うことになったのを記録しておく。ここまで読み返して、混在と共存が同じ意味なようで違うようにも、その逆のようにも思えたことも。