確信という思い出し方
短いとはいえ7日程家を空けるのに、今朝方まで起きていたこともあり、動き始めたのはまたしても昼近くになった。簡単な食事を用意しながら、「モーニングを食べ忘れたな」と思い浮かんで、「大袈裟には命の危険が上昇する側へ移動しようとしているのに、少しにせよモーニングが名残惜しいとは随分ささやかだな、でも悪くないな」と思った。
旅支度を加速して進めるも、次から次へと浮かんでくる調べ物や忘れ物に対応していたら、あっという間に夕方になった。不在の間に冷蔵庫の食材をなるべく無駄にしないつもりで、また簡単な食事を用意していたら、豆腐を掌の上でゆっくりと包丁で切ることになった。実感としては、ほとんど初めてのレベルだ。洗ったばかりのまな板をまた洗うのが面倒だったのだ。でも、この時、光景ははっきり思い出せないものの、祖母が同じ行為を間違いなくしていた、そんな時間があったことを確信することになった。
普段しないようなことの中には、こういう思いがけない瞬間をもたらす場合がある。そう思うと、旅もそうだが、行為や所作においても、少し逸れてみたり、遠回りしてみたり、もちろん近道もしてみたりすることに、前向きな気持ちになってくる。出発の列車に乗り込んだ。ぎりぎりで結局、新幹線となった。