Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

ディスペンサーとデスペナルティー

 珍しく6枚入りの食パンが最後の1枚になった時にも、保管のために、あのコの字型の留め具を使っていることに気付いた。ディスペンサーという名であることは、ほんの数年前に知った。呼称といえば、生まれた時からスマホがある世代をデジタルネイティブと言ってたっけなと思い出したが、それを言うなら、私を含めた大勢の人はディスペンサー世代でもあるだろう。
 今回、そんな身近なディスペンサーに意識が向かったのは、これまで大抵は、最後の1枚になる前に捨てていたからだと思う。というのも、ディスペンサーは私感にせよ、決して使いやすいものではない。包装の口をしっかりとまとめて細く束ねてから、速やかに挟み込まなければならない。これだったら、輪ゴムや洗濯ばさみの方が手っ取り早いだろう。
 これは自分のだらしなさを露呈する話だが、そういうディスペンサーの面倒臭さの前に、きっと「あー、もう!」位の駄々っ子な感覚で捨てていたのだと思う。たとえ、捨てなくても、たまたま、それ程手間を掛けずにうまく挟まったから、そのままにしていた位のことだ。つまり、最初から捨てていないことは間違いないが、かえって、最初から捨てているよりも、相手の反応次第で出方を変えるようなこの姿勢の方がたちが悪いと思った。また、フードロスという言葉を普段特段意識しているわけではないから、小さい頃の躾によるものだと思うが、なるべく食べ物を無駄にしないという意味で食パンは無駄にしないのに、ディスペンサーについては平気で無駄にしている気がしてくる。
 先日、この場所で書いた風量の弱いドライヤーにも似て、このディスペンサーについても手間を掛けるべきものに映り始めた。何度も試せばいいし、慌てて加速せずに最初にまず落ち着いて、一工程ずつ仕上げていけばいいだけなのだ。この加速についても、この場所で、レジ前や外でペンでの記述が必要な際に起こりがちな事象として書いていたことを思い出した。いい歳になっても、三つ子の魂百までというか、駄々っ子、自己中な姿勢というのは根強く生き続けるものだと見たくもないものを見ることになった。もっとも、しっかり見ないから、繰り返すのだろうから、やはり書き残すのはそのきっかけとして悪くないと思いたい。
 しっかり見ない、しっかり考えない。その結果、自分の一部を犠牲にするのではなく、外部を犠牲にする。今回のディスペンサーも、もちろん外部だ。語感の類似からだが、デスペナルティーという言葉が浮かんできた。昔、これの和訳が、ある漫画の有名なセリフにもなっていた。直接口にすることはなくても、実に気軽に使っている言葉だと気付く。意識の下にあることが、身体が思うという行為であれば、それは口にしているのと同じではないか?と思ったからだ。そう思うと、「死刑!」と言って、捨てているのと同じことが、ディスペンサーの周りに溢れている。この事実は、少なくとも自分に対しては、包み隠すことはできない。ディスペンサーだって嫌がるというものだろう。他人の死、知らない人の死。神妙な顔つきや態度をしばらく続けていても、やり過ごしているだけだとしたら、そこにも自分の口からこの言葉を放っているように思える。