Kを発音したくなったり、ならなかったりする。

knowの中には今が、knightの中には夜が含まれています。そんなことより、私が好きな人はローマ字にした際Kで始まる人が多いんです(あるいは多いknです?)。そうそう、傘もKでした。" Kといえばカフカの「城」の主人公が・・・" と口にしがちだった多感な頃よりは私も大人になった、あるいは自由になったと思いたい一心で開設しています。同じことしか書けないなら同じことを増やそうと思います。

鹿→カーネーション

 昨日見た鹿を、今日は会社で時々スマホの画像で眺めていた。帰宅後、再び思い出した。なぜ抱き付かなかったんだろう?と不思議になるくらい、めちゃくちゃ可愛い。馬と鹿とを人間は組み合わせたりしたが、それを言うなら、傍にいる人間の方が馬鹿になってしまう。そんな絶対的な可愛らしさに満ちている。それで、めちゃくちゃ可愛いといえば同じく、この場所の別の回でエゾナキウサギについて書いていたことを思い出した。でも、その時とは、ちょっと違う。エゾナキウサギの時は、可愛いと切り離せない悲しい気持ちも沸き起こっていた。はっきり悲しくてたまらない気持ちになっていた。でも、この鹿の場合は、決して彼らがのびのびと安全な生活を送ることができるとはいえないのは分かっているにもかかわらず、めちゃくちゃ可愛いと一緒にあるのは、楽しい気持ちだった。この違いに目が向かった。まだ仮説にせよ、答えは出ていない。
 ただ、タイミングが良いというか、奇しくも類似の存在ならたちまち今日見付かっている。それは、会社でもらったカーネーションだ。白と赤を持ち帰った。手にした時から、めちゃくちゃとはいかないまでも、自然と可愛いという気持ちと共に、楽しい気持ちが沸き起こっていた。鹿も花も同じ二文字だと、だから何?という共通項がすぐに浮かんだが、もっと考えてみる。
 いずれも、沢山群れのように眼前に集まっていたら、なかなか見分けが付かないと思う。ここで当初は、「犬や猫と違って~」と書こうとしていたのだが、その犬や猫だって同種で顔つきや背格好も同じ程度のものが沢山集まっていたら、同じく見分けは付きにくいだろうと思い直した。要するに、鹿やカーネーションは、沢山集まっている状態に触れやすい存在でもあると思う。しかし、その逆に、どこがどうだからとは言えないが、区別が付きにくいようで、「奈良の鹿と宮島の鹿は違う」というのが、はっきり自分の中にはあると気付いた。そして、その理由を、鹿達はあたりの自然と一体化している度合いが高いから、奈良の鹿は奈良の光景と、宮島の鹿は宮島の光景と切り離しにくいのではないか?と考えてみた。一方、どことなくだが、宮島の鹿の方が若干体が濃い毛並みだったかな?などと、最後に遭ってからもう2年半以上前となるから、かなり錯覚や誤認識に近いイメージも浮かんでいた。こういうのは、ネットで検索したらすぐ分かることなのだろうが、今回は自分の中に潜むイメージの方を検索したいと思った。
 カーネーションだが、長らく井上陽水の歌の方が身近なくらいだった。それが、数年前から時々花を買うようになり、今の場所に住み始めてから、その回数も増えたのに伴い、カーネーションも登場するようになった。鹿も決して長生きする生き物には思えないが、カーネーションは比較にならないくらい短い一生に映る。それでも、楽しく華やかな気持ちにさせてくれるのは凄いなと思う。このカーネーションもまた、自然と一体化して捉えていてもおかしくないが、もし奈良のカーネーションと宮島のカーネーションの二つを手に取り眺めることがあったとしても、「理由は分からないが両者ははっきり違う」と言う自分が現れるのか?と問えば、ちょっと自信がない。でも、「それが動物と植物の違いだ」といった既存の尺度で、この問いの回答とするのは避けたい。見ていない光景や触れていない場所が、眼前にあっても溢れているのではないか?と考えた。鹿からカーネーションと進めば、しりとりなら「ん」で終了してしまうが、この「ん」は種のようなもので、発芽に似た開花する力を秘めているかのようだ。都合良くも、「次に、好きな言葉を続けたら良い」と言われている気にもなった。花は自分の品種の種を持っているだけではないのだと思った。鹿については、何も言えなくなってくる。せんべいの代わりにカーネーションを鹿に渡してみようか? いやいや、鹿にとってはせんべいがカーネーションだと思うことにする。